"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

評価経済の夢

会った人が見たという夢の話が面白かった。彼は冗談交じりに、評価経済の到来に恐怖するようになったという。少し脚色する(夢なので突っ込みどころしかない)。


コンビニのレジで財布から現金を出した途端、「これ昨日までじゃん!」ということを思い出し愕然とする。貨幣経済は昨日までの移行期間を経て終了し、貨幣はその特権的な価値を失ってただの紙切れと合金のジャンクに戻った。店員は、来店客の社会信頼度が可視化された端末画面を見て「なんだ、お前か」という顔で売買を拒否する。

今日一日を生きながらえるため、社会からの信頼を得る活動に励まなければならない。


不思議の国のNEO―未来を変えたお金の話

不思議の国のNEO―未来を変えたお金の話

なめらかな社会とその敵

なめらかな社会とその敵

チューリングについて

アラン・チューリングを描いた映画『イミテーション・ゲーム』を観た。 歴史的に周知の事実を多く含む映画ではあるものの、 全く馴染みのない人にとっては多少のネタバレを行うことを断る。

本作が提出する各問題がチューリングの死から60余年後を生きる我々にとっても他人ごととは思えないのは、人間の宿命や、旧弊に抗う人間存在の自由を描き切るからだろう。

<マシン>の完成による作業効率化に固執し労働集約に加わらないチューリングと、その目的を理解せずに彼を非難する同僚。 予算をいくら割いても成果を上げないことを理由に<マシン>の停止を命じる上司と、涙を呑むチューリング。 男性に囲まれた職場で生き抜こうとする理知的で意志的な女性ジョーン。 暗号解読という戦術目標と、それを通過点として展開するより中長期の戦略、そしてそのための犠牲。 マイノリティであることを理由に国家的功労者を排斥し続け、自殺に至らしめる権力。 役目を終えた<マシン>の喪失を免れる代償として、自らは化学的去勢を受ける研究者。 自分とコミュニケーションが成立する唯一の親友の運命を、コミュニケーションを通じて「知る」ことができなかった少年。

居場所のない孤高の天才という導入しやすいチューリング像は、英国の生むベネディクト・カンバーバッチという稀代のキャスティングにより見事に演出される。

巨人の物語はしかし、単なるヒューマンドラマを越え、コンピュータによって拡張され続ける人間自身に対する人間の認識を改めて自覚させる。

チューリングの一見幅広い学術的な業績に通底する主題は、人間と機械との同質性だという。

まず<チューリング・マシン>とは、機械的な仕掛けで人間の思考(真理の探求)がシミュレートできるということだった。次に<チューリング・テスト>とは、機械と人間とがたがいにコミュニケートできるという主張である。そして、<形態発生モデル>の最終目標は、「脳の構造の数学理論」だった。 ー『デジタル・ナルシス―情報科学パイオニアたちの欲望 (同時代ライブラリー (293))西垣通)』

現代では現代なりの吟味が続けられているこのような原初の思想は、ブレッチリー・パークの同僚ジャック・グッドとの会話にも垣間見える。

機械は意識なんて持っていないと言ったときに、そのことで機械が罰を下すようになったとき、機械は意識を持っていると判断するだろうね ー『チューリングの大聖堂: コンピュータの創造とデジタル世界の到来ジョージ・ダイソン)』

チューリングがこのように言うとき、脳裡のシナリオにある<機械>は、人間と同様に思考し心を通わせあい、さらには自然と同様に生殖機能を持つようなものであったのかもしれない。

チューリングのエロスの本質は、<同性愛>というよりむしろ<機械>だった。 ー『 デジタル・ナルシス―情報科学パイオニアたちの欲望 (同時代ライブラリー (293))西垣通)』

一度失われた友を、自らの手で機械化する試み。 友を再び失いたくないばかりに、生命としての自らの機能を減退させることを選択し、アポリアに到達してこの世界を去るチューリング

マイノリティの問題は確かに深刻な社会的問題である。 チューリングが例えば仮に、60年代以降閉塞極まりゆく英国と訣別して、プリンストンに残ったらどうであったろうと偲ぶ向きもあるだろう。 自身もまた宿縁的な最期を迎える<悪魔の頭脳>ジョン・フォン・ノイマンは、チューリングのよき理解者であったかもしれない。 暗号解読という巨大な試練がなくてもチューリングは<マシン>を作り、より活動的に研究を続けられたかもしれない。

しかし、チューリングについていえば、その最期が純粋に暗鬱たる悲劇かといえば、答えはそう単純ではないように感じる。

いったいなぜ、チューリングは理論家でもあるとともに応用実践家でもありえたのか。--その最大の理由は、この人物が、数学的モデルという眼鏡を通じてしか現実世界を眺めることができなかったからである。 ー 西垣通現代思想2012年11月臨時増刊号 総特集=チューリング

チューリングの死が仮に社会や自由の問題ではないとしたら、誰にも解けない問題を独りチューリングが解かんとしていたとしたら、結果は必然だったかもしれない。

そして、60年経った今なお、問題を解く機械はしばらく存在しない、否、問題そのものが未だ提起を待っているのかもしれない。


現代思想2012年11月臨時増刊号 総特集=チューリング

現代思想2012年11月臨時増刊号 総特集=チューリング

統計や機械学習に強くなるためのアイデア

追記。よさそうなの見つけた。

思考の壁というものが時々現れる。 明確にパンクする。 これ以上は無理だ、となり、視野が暗くなる。 起業したり新しいことに挑戦しないのか、とよく言われる。 ああ、こんなに簡単に行き詰まるのなら、自分には無理だと思う。

壁は常に存在するわけではない。 ある問題には最適化して価値を発揮できることは確かだ。 確実にできることだけやっているときにはむしろ、壁は立ち現れない。 壁が現れるとき、 自分自身に対して、今はできないこと、できること以上のことを求めていることが多い。 好意的にとらえれば、成長痛のようなものだろう。 壁が現れるのは数年に一度だ。 少ないかもしれない。 何を壁と明確に認識するかの閾値の問題なら多寡を問うても仕方ない。

壁とは何なのか。 時間をかき集めて、仮想の壁を解体してみたい。 思考の壁は アルコールや運動のような発散によって一時的に不可視化することはできるが、 思考そのものによって解体するのが本質的であろう。

これは何かの結論を出したり、読者に何かの示唆を与えたり励ましたりすることを意図するものではない。典型的な悪文、というより文章の体裁さえとっていない。 自分自身の認識や思考におけるネック、ざっくり言えば生きづらさ、のようなものを明解にしようと試みるものだ。

筋が悪い、と時々言われる。自分でももっと頭がよければと思う時がある。どういうことか。

仮説がない

ゴールがわからない。 何をしたいのかわからない。 仮説検証のプロセスを踏んでいない、もしくは形式的に踏んではいたが腹落ちしていない。 なんとなく迷走状態に入ると、これはよくないな、というメタ認知が駆動しはじめる。 迷走していることすらわからなくなると、もう一段危険だ。

仮説が悪い

これは一般には、仮説検証の過程で回収できる損失である。 あくまで仮説であるので正しいとは限らず、反証されることによっても結果的に知識体系を拡大することに貢献する。

戦略が悪い

平たく言えば要領が悪い。 ゲームでさえ、レベルアップは今でも下手だ。

大きな目的ははっきりしているのだが、そこに至るまでの通過点の設定が悪い。 必要な知識か、思考のいずれかが足りない。 ルールの理解が遅い。 短期的な現状と大局の間で視座を切り替えて確認することができない。

時間感覚が麻痺している

時間見積もりの精度が悪い。 時間を測っていない。 気が付くとずいぶんと時間がたっている。 過度の集中力の裏返しとして、時間内に終わらせるという目的を忘れる。 実際にかかった時間が、次の計画に活かされない。

完璧主義

理論や方法論、設計、実装、成果物の美しさに固執する。 効率的でないアプローチを選択する。 効果の薄いポイントにエネルギーを注ぐ。 攻略本を読んだり検索したり人に聞いたりという適切な情報源を使わない。 美しいもの、完璧なものが高く評価されることの悪弊ではある。

立ち向かっているテーマが多すぎる

パンクしているのなら、一つこれは疑ってよい。 選択と集中、断捨離に舵を切り直すべき地点がどこかにあるとして、 それがどこなのかを見極めるのは難しい。 仮にわかったとしても、引き返すには既に遅いという状況もある。

テーマが多いというのは、時間がないということの言い換えでしかない。 時間がないと言い切ることには抵抗がある。 時間が限られているのは自分だけではない。 時間の問題とは、本当は時間配分の問題、 何をどれくらい、どのように戦うか、という問題だ。 リソース配分の戦略が悪い可能性もある。

アントレプレナー自己啓発のシーンでは、 分野を絞らず何にでも挑戦する人の話には事欠かない。 そして、多産な人の話は面白い。 いろいろな経験や知識が頭のなかで活発で有機的なネットワークを構成している。 何かを切り捨てなかった他人と、何かを切り捨てた自分との比較が発生し、 こういう人になりたいと思う。 多産主義・学祭主義への傾倒が生まれる。

テーマが増えるとテーマごとにかけられる時間が短くなるのは自明の理だ。 しかし、テーマ自体を絞ることのデメリットを考えると切り捨てることができない。 それは視野狭窄への第一歩となり、望ましいことではないからだ。

理解へのこだわりが弱い

とくに自分以外の人間の間で共有できているものが自分だけ得心しない。

周りの人間の暗黙知に対する違和感。 とりあえず話を途切れさせないために、わかったふりをする。 これは自分をも欺き続けるので、限界がある。

人の言っていることがわからないのは異常ではないのだと気付き、 「よくわからないから、ちゃんと説明してくれ」と言えるようになれば改善だ。 一言、「というと?」「具体的で言うと?」「XXという言葉を使わずに言うと?」とはさむだけでよい。(自分自身との対話においても有効な戦術だ)。 それを深堀りする時間がない状況なら、わかったふりをしないで、後で勉強する、というのを徹底する、というのがある。

この手の理解力のなさであまり苦労したことがない(正答率さえよければとりあえず問題が発生しない)から、 「わからない」ことじたいがよくわからないということはある。 自分の場合は、数式や論理に基づくものは時間さえかければ理解できるという確信がある。 それを「わからない」ということは、単に時間をかけることを諦めただけだ、としか解釈できない。 だから科学やエンジニアリングに関わることに安らぎを見いだせるのだろう。

自信がないのは、視覚、聴覚、味覚といった感性的、美学的な問題だ。 この「わからなさ」をより深く分析してみるのもありかもしれない。

最後まで実現するのか、という問いへの答え

メンバーや資金、場所、情報といったリソースを集めて新しいビジネスや研究を始めるときに求められるのは以下のような要素だ。

説得力がない

フィージビリティを客観的、絶対的に示す方法はないケースのほうが多い。 たいていの話は論理的には穴があり、いくらでも細かい突っ込みは可能だ。 筋が通りきっていない不確定な話を、さもありなん、と思わせる力は、仮に狡猾ではあったとしてもこれはこれで重要だ。

人生やプロジェクトのストーリーの一貫性(integrity)もここに含まれうる。 あちこちに伏線を張って回収しない小説のような行き当たりばったりなストーリーは、魅力的であると同時に、それに賭けようとする他者の心を遠ざける危険がある。 (もっとも、学者人生の前半と後半といったように大きな転回を行う人も、哲学者などに散見される。)

真摯さ、意志、コミットメントがない

意志が強い人は結構だが、 問題を意志だけに帰するのはひとつの思考停止だ。 挫けるときはある。 モチベーションに依存しない生き方というのがあれば、なおよい。

全力を傾けて精神を限界まで消耗した先の惨敗は苦い。 「がんばっているからいい」「十分がんばった」では物事は回らない。 社会が重要だとみなすのは、 挑戦や努力や真摯さそのものではない。 失敗を繰り返してでもそれを克服して成功を導き出す力だ。

コミットメントという言葉には謎の響きがある。 問題に対してYesとNoを選ぶ能力、それを回答する能力、そしてそれがYESであれば、その回答に対して忠誠を誓い遂行する能力としておこう。 こう書くだけでも複合的な能力であるように思える。

楽しめていない

壁を越えることを楽しめないよりは楽しめるほうがよいのは言うまでもない。 この是非は、立場によっても変わるだろう。 同じことでも、以前は気軽で楽しかったのに、重責を負うと辛くなることはよくある。

楽しさと辛さの間の壁こそ、メタ認知的に克服するべきものかもしれない。 十分に距離ができた過去の辛さを笑い話にすることは簡単だ。 これを現在の辛さに対して行うことは、比較的難しい。 例えば、辛くなったときに、その辛さをあえて楽しいと言ってみる。

こうして思考の壁を解体するプロセス自体が、 継続的なモチベーションを要求する一つの実験であると考えられなくもない。

2014年個人的振り返り

読んだ本

コミック一部割愛すると35冊。去年より減った。
数学・語学・哲学・SFは思考に適切な負荷をかけるのにちょうどよいと思うので若いうちに色々読んでおきたいと思っている。

哲学

暇と退屈の倫理学クワイン (平凡社ライブラリー 683)分析哲学入門 (講談社選書メチエ)分析哲学講義 (ちくま新書)知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春文庫)木田元の最終講義 反哲学としての哲学 (角川ソフィア文庫)寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

SF

NOVA+ バベル: 書き下ろし日本SFコレクション (河出文庫)SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)時間封鎖〈下〉 (創元SF文庫)時間封鎖〈上〉 (創元SF文庫)All You Need Is Kill 2 (ジャンプコミックスDIGITAL)know白熱光 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

歴史

イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)知らないと恥をかく世界の大問題 学べる図解版 第4弾 池上彰が読む「イスラム」世界 (―)ヒストリエ(8)ヘウレーカ (ジェッツコミックス)世界史をつくった海賊 (ちくま新書)

言語

言葉の誕生を科学する (河出文庫)日本人の英語 (岩波新書)日本語と外国語 (岩波新書)言語学とは何か (岩波新書)

科学

記号創発ロボティクス 知能のメカニズム入門 (講談社選書メチエ)宇宙が始まる前には何があったのか?

経済

ビットコインはどのようにして動いているのか? ビザンチン将軍問題、ハッシュ関数、ブロックチェーン、PoWプロトコルビットコイン あたらしいネットビジネスの教科書

エッセイ

コルテスの海 (プラネタリー・クラシクス)

数学

バナッハ=タルスキの逆説 豆と太陽は同じ大きさ?

心理

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

脳科学

拡張する脳

ビジネス

グロースハッカー 第2版(新版にさしかえた)

コミュニティ

京都でも町家スタジオで色々やっていたが、東京でもいくつかのコミュニティに参加したりコミットするようになった。それぞれ波長が合う人はきっといるとは思うが、説明が難しいので今のところ個々に声をかけている。形になってきたらまたまとめて書きたい。

ある程度触ったもの

ソフトウェア・ミドルウェア
ハードウェア
サービス
  • Xively
  • Slack

ちょっと触ったか、結局触らなかったもの

ある程度触ってみたといえるように来年はしたい。

仕事

  • 開発から離れて設計やレビューに回る仕事も比較的多かった。
  • 未知の技術のノウハウを蓄積するのは(必要性がない限り)なかなか難しい。
  • エンジニアであることを引き続き楽しみたい。

運動

  • 正月にスノボした。
  • スタンドアップパドルに挑戦してみた。来年はサーフィンかウィンドサーフィンしたい。
  • テニスした。試合にも出たが惨敗だった。来年は試合慣れしたい。
  • 夏場はテニスの前に水泳してほぐすことも多かった。
  • 卓球を7年くらいぶりにやった。神保町、渋谷、中目黒など各所にあってよい。
  • サバゲーも夏場はちょっとやった。
  • 冬になると外出するのが億劫になった。

ゲーム

PS3FPSを比較的よくやった。

  • Battle Field 4
  • Destiny

Webサービス

スマホについては書いたので割愛。脳内の整理にはNozbeとEvernoteにお世話になっているが活用しきれていない。

旅行

  • 沖縄に行った
  • 台湾・香港・マカオに弾丸で行った。
  • モロッコ行きを企画していたが中止した
  • カリフォルニアに2009,2011,2012,2013と行っていたが、今年は行かなかった。(そろそろ仕事で行きたい・・・)
  • 旅行は人生のモチベーションなので、来年も引き続きどこか企画しよう。


中学生の自己紹介ページみたいになりましたが来年もよろしくお願いします。

2014年人工知能関連のニュース振り返り

今年はIoT元年と騒がれると同時に、機械学習人工知能関連でも印象に残るニュースが多かったように思う。
しばらくウォッチしていなかったな、と思い出しながらホッテントリGoogleニュースを調べてみると実際面白かった。

2013年

2014年

さて、何か新しいものが実際にやってきているのだろうか。この領域のブームは20年周期で起こるという人もいる。

現在のセンセーションの一つはカーツワイルシンギュラリティ*1だ。カーツワイルはかつて、人工知能の父と呼ばれるミンスキーの教え子だった。
ミンスキーは2012年のインタビュー書で、スリーマイルから福島までの30年間のロボット工学の進歩は皆無である*2と嘆き、人工知能研究が単にエンターテインメント化しているとして警鐘を鳴らした。

知の逆転 (NHK出版新書 395)

知の逆転 (NHK出版新書 395)

また、データベースに頼った自動翻訳に対して否定的な意見を示した。

複雑な文章であったり、「ある理論が、ある種の問題には適応できない」というような内容であった場合、自動翻訳機はこの「Not」を理解することができない。なんらかの「否定」が入っていることはわかっても、文章の内容を理解しているわけではないので、正しく翻訳することができないわけです。

生成文法などの武装により言語学研究の潮流を一新するだけでなく学問・政治の世界に大きな発言力を見せるチョムスキー(上掲書にも登場する)は、カーツワイルのシンギュラリティをSFだと言い切る。

NLP(自然言語処理)においては、生成文法認知言語学を含む伝統的な理論言語学に対してこのような空気が定着しているときく。


NLPにとどまらず認識や思考にかかわる研究は、「父」たちの思惑をよそに、これまでのところ統計学機械学習の成果を背景に目覚ましい進化を遂げているようには見える。

色々な人が色々と好きなことを言っているようでずっと観測し続ける分には刺激が多い領域だ。
専門外ではあるものの、僕も引き続きどのような洞察やコミットができるのか考え続けたい。

*1:カーツワイルはシンギュラリティの到来を2045年頃と予測したのであり、その概念の提唱はむしろヴァーナー=ヴィンジに帰せられるとのこと。失礼しました。

*2:実は2007年頃に僕も、阪神大震災後の神戸市街を模したフィールドで救助活動を行うロボットコンテストに参加している。結果は上々とはいえず自律ロボットでもなかった。とはいえその後考える機会が多分にあったはずなのだが・・

情報収集について

インプットにかける時間をいかにアウトプットに回すかを考えると、インプットにかける時間を減らすにはどうすればよいかという意見に達するだろう。
しかし、インプットしている時間にも2種類ある。
情報収集をしている時間 と、情報を実際に消費している時間だ。
後者は速読などで減らせる部分はあるかもしれないが、難解な書物や長いアニメ、身体性のある知識などは自分の脳に染みこませてインストールする必要があり、むしろ時間をかけるべきところだ。
問題は、情報収集に時間がかかりすぎることなのだ。
それはシステムにやらせればよい。
一般的にこれをサポートするシステムは昔からある。RSSリーダーソーシャルメディア、キュレーションサービスだ。
しかしそれに満足しないエンジニアならば、作るべきだ。自分のために最適化された情報収集システムを。
人間の時間は、情報収集に割かれるべきではない

ちょっと極論だが、ある優秀なエンジニアの話を聞いて感銘を受けたので自分なりに整理。