"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

Google Earthで遊んでいたら親に咎められた。この時期に、というのならまだわかるけど、パソコンやゲームばっかりやってたら人間が歪むぞ、といいたいらしい。はっきりいって迷惑だ。読書もするし、ゲームばかりやってるわけでもない。というかゲームなんて全く触ってもいない。しかしそれ以前に、ゲームだからダメという理屈にも飽き飽きする。優秀な人間は素晴らしいものに感動を覚える。それがゲームであろうが文学であろうが自然美であろうが純粋数学であろうがそんなことは大事ではない。プログラマならコンピュータゲームから得るものも多いはずだ。不幸にして我が家にはそういう文化がなかったという話にすぎない。一日中やって何が悪いというのだろう。高校時代、受験勉強そっちのけで一日中化学辞典や世界史年表や国語辞典を咀嚼しているような時期もあった。それがコンピュータに変わっただけのことだろう。

それに「歪む」ってなんだ。云われなくたって国も歪んでいるし、社会も歪んでいるし、会社も歪んでいるし、家族関係も歪んでいる。そのことには誰もが気づいている。マネーやビジネスなんてものに関わってる時点で既に人間は歪んでいるのだ。今さら何を寝ぼけたことを云ってるのか、この御仁は。相対主義的に考えれば人間なんて歪んだやつばかりじゃないか。「自分はゲームなんてやっていないから歪んでない」と云わんばかりの口調がそもそも気に食わない。

大人ってのは、国だとか故郷だとか言葉だとか本当に大切なものは何一つ護れないクセに、つまらないところで保守的だ。「ゲームに類するものは全部ダメ」というのもそうだ。時代からとり残された古い人間が、対象が少しでも新しいと古い価値観で判断しようとするから齟齬が発生する。嫌になるな。