"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

ヴェネツィア

NHKの世界遺産特集でヴェネツィアが登場。行ったこともあってなかなか面白い話もあったので簡単にレビューしてみる。

まず興味深かったのはヴェネツィアで行われていた独特の選挙方法。総督を選ぶために30人の候補を選び、それを抽選で9人に絞り込み、今度はこの9人が40人の候補を選ぶ。こんなことをなんと10回も繰り返して候補を減らしたり増やしたりして、やっとこさ総督が決まる。抽選という偶然の要素を組み込むことで公平な選挙を実現したのだというが、俄かには信じ難いユニークさだ。総督に選ばれても好き勝手できるわけではなく、恒久的な行政システムによって厳しく管理された。総督当ての手紙を無許可で一人で読んではいけない、行政府から無許可で一人で出ては行けないなどのルールがたくさん存在し、ルールに従わず犯罪者として処刑された総督もいた。また一部の商人が莫大な富を手にしそうになると、政府がこれを分割した。行政と商売に対する凄まじいまでの感性は、弱い立場で無の場所から全てを建設したヴェネツィア市民の、共同体意識からくるものだった。商業を唯一の拠り所としている国は、一部の少数の愚行によって商業が立ち行かなくなれば滅ぶのだ。

その敏感さは巧みな外交にも及んでくる。ヴェネツィアの造船所には一日に一隻ずつ大型艦を建造する生産力があり、これによってヴェネツィアビザンツ帝国の勢力下にありながら、防衛軍として関税免除などの特権を得ていた。ヴェネツィアの交易に協力的であったビザンツ帝国オスマン・トルコによって滅び、地中海貿易が脅かされるようになると、トルコ皇帝の欲しがっている物を献上して戦争を回避するよう動いたり、またヴァティカンを通じてカトリック圏の協力を仰ぐためローマ教皇の人格を分析し始めるなど、その持ち前の外交術を自在に活かした。

アドリア海の女王という異名の通り、古くから地中海貿易で栄えたヴェネツィアだが、大航海時代に入りその優位に衝撃を与える歴史的事件が起こる。15世紀末の喜望峰航路開拓によって、南アジア産の香辛料を独占的に交易することが難しくなったのだ。中東の陸地を経由する従来の貿易路に比べて新しい完全な航路は安上がりであり、ヴェネツィア商人たちは以後ヨーロッパはスペインやポルトガルから香辛料を買うことになるだろうと悲嘆にくれた。評価すべきはそこであっさりとくたばってしまわずにブレイクスルーを見出したところだ。外島ムラーノの吹きガラス工芸の高度な技術に着眼し、政府がこれを全面的にバックアップしてヨーロッパ中に売り出したのだ(保護そのものはそれ以前からやっていたようだ)。これがヴェネツィアングラスの国際的な伝統を生み、ヴェネツィアの地位の維持に大いに貢献する。新大陸や東南アジアに進出していったイギリスやオランダにより、地政学的に不利なヴェネツィアはやむなく貿易の舞台から引きずりおろされてしまうことになるが、外患を転じてオリジナリティを育み、不動の地位を確立するという戦略から、広告やメタデータだけを扱い自らは何も創造しない未来の風潮への何らかのメッセージ、あるいは警告が読み取れるような気がした。歴史にも教訓がある。

《水の都》の宿命として、この街は近い将来水没するのではないかと危惧されている。アクア・アルタ(高潮)の時期にはサン・マルコ広場など街中が水浸しになることで有名だ。それ自体はアフリカからの季節風(シロッコ)によるグローバルな気象であり建設当時からの付き合いだが、温暖化の影響によってその激しさは増している。慢性的な地盤沈下も問題だ。数世紀前からある教会の鐘楼は建設中から傾き始めていたという。市政が補強工事を行い、現在ではセンサーを設置して毎日6時間ごとに傾きをモニタリングしている。「ヴェネツィアに生きる者は、アクア・アルタを受け入れなければならない」案内人はヴェネツィアの原風景、ラグーナ(浅瀬)へと誘う。ヨーロッパ中をかき回した民族大移動に追われ祖先たちがこの地に避難してきたとき、初めにあった風景だ。「1500年の間、我々は水と友達だった。現代の危機も何とか乗り切れるはずだ。ヴェネツィアから水がなくなったら、それはヴェネツィアじゃない」けだし名言である。ラグーナ、行っとけばよかったなぁ。