"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

コンピュータと。

ところで、これからプログラミングをはじめようと思う人達って、何がきっかけで始めようって思うんだろうね。http://generation1986.g.hatena.ne.jp/karasu_btb/

「これからプログラミングをはじめる」ってのとは少しずれるんだけど、それに近いことを書きたいと思っていた季節頃なんで、長々と書かせていただきます。まぁ自分のことなので自分のブログに書きますw ちなみに火曜から春休みの21歳学生。

自分がはじめてコンピュータにさわったのは、正確には覚えてないけど小学生の頃でまだWindowsじゃなかった。NECの98MULTi CanBeの上でマスコットの98チューター君とかいうハチががんばっていた。Windowsがじわじわと市場を攻めてきた頃、ようやく流行り始めたインターネッツを使って学研(今では大赤字らしいが)のサイトに行ったり、タイピングを覚えて中学受験塾のレジュメや広辞苑の分類学記事を一太郎で整理したりしていた。

で、はじめてプログラミングにさわったのは99年6月、テレビを見ながらパソコンのデスクトップにあるVisual Basicのアイコンにふと気づいた日だった。父親にそれが何か教えてもらうとすぐに夢中になった。まだネットでプログラミングの知識を仕入れるという習慣がなかったので主に書籍に頼っていた。基本的なVBの使い方を覚えてさっそく興味のあったフラクタルCGを描いてみた。当時参考にした本で一番読みがいがあったのは『カオスの数学』だった。『カオスの数学』のソースはCだったが、アルゴリズムの理解に必要なのは複素数の知識だけ。『複雑な、あまりに複雑な』のライフゲームの項も知的好奇心を適度に刺激した。この2冊は今読んでも面白いのではないかと思う。

カオスの数学―C言語が描く不思議な模様

カオスの数学―C言語が描く不思議な模様



カオスからプログラミングに入るのはテレビゲームから入るのと同じく王道の一つといえるかもしれない。AIとかCGとか共通項多いし。国内でも海外でも、テレビゲームがプログラマに与えてる影響って計り知れないと思う。そうやって育つ一部のハッカーも現代社会の技術基盤を支えてるんだってことを、見た目のなんだかんだでテレビゲームを児童教育から排除しようとしている人たちに考え直してほしい。

中高一貫の6年間は不毛といってもいい時代だった。よく言って下積み程度でしかなかった。周りにプログラミングが趣味というやつはいないか、いたとしてもほとんど伝わってこなかった。山ほどいたゲーマー、アニオタの大半は、CGクリエイターにでもなるのかと思わせるような同人を描き回している一部を除けば単なる消費者だった。マイコン同好会の存在に気づき突撃してみたが、顧問に「うちは中1からしか受け入れてない」と云われて萎えて帰ってきたこともある。新しいサークルを作るほどの気概はなかった。
小学校にはあったPCルームがなく、高校に入った頃完成したが自分の学年は情報教育前夜最後の世代で使わせてもらえなかった。6年間でたった数日、他大学までオフィスソフトの講習を受けなければいけない日があった。

刺激は自ら求めなければならない。21世紀に入ってからHP作成が内輪で結構盛り上がった。自分も多分に漏れなかったが、日記や自作ソフトの公開という手間を嫌ったため、HTMLやFTPの知識がつく程度で実践は疎かになり、セキュリティやPerlの勉強はすぐに飽きた。ブログやSNSがインフラ化した今でも手打ちで日記を書き続ける人を見ると懐かしいというか妙な気分になる。

依然ローカルでの開発にしか関心がなく、Cなど他の言語を覚える気もなく、幾何の証明に使う図を作成するインタプリタ、数式やHTMLアウトラインの解析をずーっと考えてみたり(あくまで考えただけだけど)、Newtonの法則を覚えたら簡単な物理シミュレーションをやってみたりという感じだった。TeXで問題を作る数学教師はいたが、高校でTeXを使うことはついぞなかった。何か書くとすればWordが当たり前だった。

ゲーム開発本がかなり出版されるようになっても、自分が読むところを想像すると違和感しかなかった。自分はゲームを愛せる人間ではない。なんか違うなぁと。入試直前の数日間は古典多電子系のシミュレーションに夢中になり受験どころではなかった。ちょうど今時でいえばセンター前にニコニコ動画にハマるようなものかもしれない。

コンピュータが学校生活の一部になったのは大学からだった。この頃からコンピュータは自分の専門ではないけれど、関係ありそうなものにはとりあえずかじりついてみようと思いはじめた。前期末に実験レポートがたまり、TeXを覚えざるをえなかった。後期の演習で1,2コマ扱ったawkは全くもって身につかなかったが、はじめて触ったUNIXは新鮮だった。理論はSchemeだったが、黒板で進むプログラミングには興味がなかったので履修しなかった。後から考えればこれは結構損をしたかもしれない。何かの縁でロボットサークルに入り、Cでライントレーサーを書いた。自分の回路に自分のコードを載せたのは後にも先にもこのときだけ。

2年前期はRubyでピクセルレベルのCG。夏休みにPerlを学ぶ用事ができ、とくに意味なくPerlで集中講義の演習結果を解析した。後期は「RubyOpenGL」「Fortranスパコン」だった。後者は自分の学部の単位として認められなかったがまぁ別によかった。ロボカップシミュレーションのJavaソースを読むというのもあったがこれも単位外で、講義のテーマはプロジェクトなのでプログラミングそのものは重要ではなかった。後期に医療データ管理のベンチャーでVB.NET+SQLというまともなバイトに初めてありついた。Ruby,Java,.NETで最近のオブジェクト指向に触れたのがこの頃、つまり1年ちょっと前。

放課後の新大阪への通勤にウンザリしてきた3年の春、学生ベンチャーに興味ないかというメールをバイト中に受け取った。それと同じようなデータベースバイトを既に京都で見つけていたのだが、社長に会って話を聞き、すぐに興味をもった。その誘いがなければ自分はどうなっていたのか、そんなことを考えても無駄だが、とにかく今の会社に貢献したい、それだけは確かだ。

最近Web界隈を傍目に物理を勉強してて思うのは、もう遠回りをやっている余裕はないということ。気づけば何ももっていない。情報の正規教育も受け損ねた。このままでいいのか、と毎日思う。時間はどんどん物理に削られていくが、物理も半端。こんな状態では身につくものもつかない。

物理とコンピュータ、先に出会ったのは後者だ。中3のときの志望は情報工学だったが、高1のとき数学になり、さらに高2で理論物理になった。このきっかけは『エレガントな宇宙』だった。この本は、わかりやすく、面白すぎた。

エレガントな宇宙―超ひも理論がすべてを解明する

エレガントな宇宙―超ひも理論がすべてを解明する


大学受験の過程においてプログラミングをあくまでサブとしか捉えられなかったことが痛恨だった。理系科目が得意だったので当然のように理論物理に進み自分は物理が好きだと思って生きてきたけれど、物理よりもコンピュータが好きだということにようやく気づいた。まだ若いやん、という慰めならありがたく頂戴しますが、自分で自分の可能性を絞りこんで生きていたツケに、苦しめられています。

母校にもロボット同好会ができて試合で好成績をあげた。今後の中高生はプログラミングやITベンチャーにより興味をもって生きていけるのではないかと思う。シャカイジンから見るとヒヨッコですらない層がどんどん社会を動かす。受験だけじゃない、そういう意味でも面白い時代になりそう。

吐き捨てるような駄文失礼。