"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

中国(2)

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Day3(2/28)

王府半島酒店(Peninsula Hotel)

朝食。スイカジュースがうまいです。日本人への気遣いということで鰻と白米なんてのも置いてあります。

北京観光ということでお祖父さんがドライバーとガイドを手配してくださいました。

故宮

太和殿は工事中。

防火用水の水がめが200個ほどあるという話です。下の穴は冬に水が凍らないように薪を入れて暖めておくためのもの。

保和殿玉座。

胡同

胡同とは故宮の周りにある伝統的な下町の路地のことをいうらしい。

三輪車でGO!前の車には胡同の専属ガイドが。

160年前からあるという焼肉屋。

バーや若者向けの店も結構あって夜はもっとにぎわうようです。

四合院という平屋。京町屋みたいなものでしょうか。家の前の石は太鼓で、もともと武家の家だということを表しているらしい。

こちらは印籠で、文官の家だったようです。もちろん現在は全然関係なく、ヨーロッパ人が趣味で入居している家などもあるそうです。家賃はかなり高いようです。

凍った后海の畔。モンゴル人がこの湖を見て海と間違えたそうです。ほんまかいなという感じですが、地図で見るとたしかに結構広いです。

町屋の中には入れてもらえましたが写真はNG。

昼食

長城に向かう前にレストランに入る。2階はかなりの収容力を誇る。

この切り絵は胡同の町屋で作っていたのを見ました。

長城

はい、長城です。最も有名な八達嶺長城の入り口は左の男坂、右の女坂に別れています。女坂が楽で眺めもよいらしい。

1日目に運良く機上から見られたので、今度は地上から。入り口から女坂を見たところ。でかいっすね。

上の写真で一番峠に見えるところの次まで登って引き返す。

男坂から女坂を見たところ。

茶博士家

美少女が中国茶を披露してくれる店。コスプレ喫茶?いいえ、(ry

お椀の黒いドラゴン?が・・・

お茶を入れると赤くなる。

こいつは温度計で、お湯をかけるとオシッ○します、ってがんばって勉強した日本語で中国美女が言ってました。みやげに3個もくれましたが3個もいらないので欲しい人は言ってください。クレヨンしんちゃんに似てるのは気のせい?

オリンピックセンター

はい、鳥の巣です。

Day4(2/29)

ホテルにこれ見よがしに集められたブランドショップ

本物とか贋物とかあまり興味ないのでパス。

天壇

圜丘壇という有名なスポットに行きたかったのですが時間がありませんでした。

東から祈年殿へ向かう通路。

たくさんの年金生活者が朝から博打を打っています。

祈年殿。

天安門広場

写真を撮っていたら、兵隊が突如向きを変えてこちらへ歩いてきたのでびっくり。それにしても広いですねー。

帰り際に見た人民政府の役所か何か?

北京

旧北京駅。昔の人は包頭まで20時間電車に揺られて行ったらしい。

餃子の話

中国人に餃子の話をされたのは、北京の胡同の町家、四合院に行ったときだけでした。四合院には僕と友人、胡同の通訳さんとその家の住人のおばさんがいて家の説明などを受けていたのですが、いきなりおばさんが餃子問題について日本人はどう思っているのかと聞いてきました。おばさんも通訳さんも終始大人の対応で悪意は見られなかったのですが、アウェーであることを自覚している僕らは「マスコミもどれだけ本当のことを言っているのかわからないから、何を信じればよいのかわからない」と適当に切り抜けようとしましたが、通訳さんがおばさんにそれをちゃんと伝えてくれずおばさんが一方的に「知り合いはまじめに働いているのに、迷惑だ」と笑顔で愚痴を言ってきて、狭い部屋の中で居心地が悪くなってしまいました。さすがにこのときだけは中国語を話せないことが苦痛でした。

お祖父さんの話

実は僕を中国に連れて行ってくださった友人のご祖父というのはこの方です。

今日も面白い人に会った - satzz online beta

この方は50年前にそうやって色んなところを見て回った後、30年前に中国で事業展開した人です。30年前というと1972年の日中共同声明で国交が正常化して間もない頃ということになります。今では上海の発展もすさまじく、両国の交換留学生もたくさんいますが、北京へ出張する前には必ず毛沢東語録を読んで頭をスイッチングする、ということを繰り返すような、そんな時代だったそうです。内蒙古への飛行機も今でこそ日に何本かありますが、先述のように昔は電車で山を抜けるしかありませんでした。それでもカシミアの現地生産によるコスト削減という希望を頼りに、現地の企業との信頼関係を一から築き上げていったお祖父さんには、まさしく開拓者の称号がふさわしいでしょう。

そんなお祖父さんにお供させてもらって感じたのは、各地を渡り歩くときに英語や中国語といった語学力に劣らず大事なものがあるということでした。それは度胸です。トロント、ニューヨーク、モスクワと歩いて少しずつわかってきたことを、ここでも再確認しました。言葉が通じなくても多少のことではひるまない、その意気込みというか肝っ玉と、長年の信頼関係に支えられた人徳が、僕らの道中を守っていました。おかげで危ない目には遭わず、それでいてお膳立てされたものとは違う気ままな旅ができました。お祖父さんが自分で口にすることはありませんでしたが、保守的になっていく多くの高齢者に比べてまだまだ元気にあちこち飛び回れる秘訣は、やはりそこにあるのに違いありません。

もう一つはお金の使い方に躊躇がないことです。孫である友人はともかく僕のような他人も、次はいつ乗れるかわからないファーストクラスに乗せて下さいましたし、ホテルもかなり高級なホテルをとって下さいました。お祖父さんの口癖に「種をまく」という言葉があるそうですが、これは僕らのような若い世代に投資するという意味です。僕もお祖父さんの思惑通りに、開拓者の生き様を見てしっかり刺激を受けてきました。この借りとか貸しとかいう日本的な考え方に縛られない豪快な投資家精神も、何か見習うべきところがありそうです。

中世のシルクロード商人とシリコンバレーのキャピタリストを足して2で割ったような、そんなスケールの違う感じの日本人に出会った素晴らしい旅になりました。