"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

京都

自分を含めたはてな界隈は京都をシリコンバレーにするって勝手に息巻いてるけど、京都のほうは実際どうなんだろう。はてなが持って帰ってきたシリコンバレー的なものを京都人保守層があっさり受け入れるかというと、そんな準備はまだ整っていないように思う。京都がシリコンバレーになるということはあちこちで会社ができたりつぶれたりするということで、長年の縁を重んじる京都人からするとそんなことにつきあってられない、ということになりそうな気がする。

よく知られている通り京都って日本の産業都市としては数少ない内陸都市だ。こんな町だから色んなものが町にたまる。花粉とか、底冷えの空気とか、夏の湿気とか、あと人の噂とか。半分は冗談だけど、半分は本気でそう思っている。ベンチャー業界もそうかもしれないけど、京都も大都市にしては人と人の距離が狭すぎる。玄武とか朱雀とかそういう魔性がそうさせているんじゃないかという気もする。中高生時代は町全体が一つの学区のようで、学校ぐるみで隣のクラスのように仲がよかったり、遠くの学校での事件が同じ学校のように伝わってきたり、知り合いと知り合いが親戚だったりする。京都以外の町に住んだことがないしそもそも私立だけの話なのかもしれないが、何となくそういうことは感じ取っていた。

その逃げ場のない息苦しさからなのかどうかはわからないが、いちいち集団を直和分解しないと気がすまない排他的な奴が多すぎた(女子にはよくあるらしいが)。自分は色んなグループの交差点にいるのが好きで、実際にそうだったのだが、他のグループの奴と遊んでいると「なんであいつらと仲いいの」と突っ込まれる。当然価値観の衝突やいじめも発生する。ただ母校は京大生予備軍の巣窟で、そういう「とんがった弱者層」の居場所がなんとなく確保されていたという点は賞賛に値する。

大学に入るとさすがにそういった閉鎖的な空間は消えてせいせいしたが、やはり「一元さんお断り」みたいな話を聞くと京都は都会を装った田舎だという感は否めない。ネットを介したつながりって、「リスクを抱えこんでも見境なくつながる」というのと「簡単にはつながらないところに信頼をおく」という二つの反対の流れがあるけれど、京都は後者の比重が大きい。

仮に京都にベンチャーが怒涛のようにできたとしても、周りは安定企業に就活しているのによくわからないベンチャーにいつまでも首を突っ込んで、と言われて勢いをそがれる学生は多くなるのは目に見えている。そんな学生は拾うほどでもないといったらおしまいだが、京都をシリコンバレーにするにはリスクに及び腰なそういった保守層にさっさとご退陣願うか、京都らしくシリコンバレーらしい別の新たなあり方を模索するしかないのかもしれない。

・・・とシリコンバレーに行ったこともない人間が言ってみるw

個人的には「シリコンバレー?ぼっこぼこにしてやんよ( ・ω・)=つ≡つ」という方と、お話してみたいです(ナショナリズム的な意味ではなく)。

このスタンスは好き。