"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

化学++

日経産業新聞5/2号に「塗るだけで太陽電池」という記事があった。


携帯電話の背面に材料を塗って熱処理すると厚さ100nmの太陽電池ができる。太陽光や電灯で充電ができ、電池切れの心配がない。
(中略)BP*1は植物の葉緑体と似た性質を持ち、光を浴びるとエネルギーを生み出す。(中略)洋服に塗り、衣服が生む電気をポケット内の携帯電話やラジオにためこんだり、テントに塗って外でIHヒーターを使ったりと、「あらゆるところからエネルギーを取り出す*2」と意気込む。

今の太陽電池って電池そのものを持ち歩かないと使えずその分のコストがかかってしまうけれど、この塗料は塗って電極をつなげばすぐに発電できる(記事にはプロペラを回す写真)。細かい仕組みはよくわからないが、エネルギーがいくらでもたまってしまうということはないだろうし、仮にそうだとしたら危険すぎるから(ミクロスケールの)保護回路か植物のようにエネルギーを循環させる仕組みを組み込むことになるのかもしれない。ともかく、この開発者が目指している「コンセント不要の世界」というフレーズを見て、今までの化学に対する違和感が少し解けた。

今まで物性や化学の世界観は、当然ながらあまりに物質的で、それ故に現実主義的すぎて、地味なものだと思っていた。計算機科学者やIT技術者には量子情報やユビキタスで新しいインフラをハッキングするという野望があるし、物理学者はいつ見ても宇宙だ紐だと命がけで明後日の方向を向いているし、かと思えば次の日には哲学にはまっちゃったりするし、ヒトゲノムプロジェクトを飛び級で卒業してしまいそうな生物学者たちにも脳というラスボスが待っていてますます期待大だ。

ちょっとサイケな未来を見据えたそんな人々の中で化学者界隈だけは未だに物質中心で回っていて、失礼だけどとても現代的な精神文明からはほど遠い、というか古めかしい人々だと思っていた。こういう偏見があるのは「古くさい設備で大量生産するよくわからない化学薬品」のイメージが頭から抜けないからに違いない。だけど実際、物理や生物は技術とのコラボ(のようなもの)で頻繁に盛り上がるのに対し、化学コミュニティだけは温度差や疎外感もあるように感じる。

空中から情報を取り出す時代に、エネルギーは間違いなくネックになってくる。化学者にも空中からエネルギーを取り出す時代という「次の次」の明確なビジョンがあることがはっきりわかって、たとえ方向性が違っても一緒に歩を進めて行ける、という確認がようやくとれた気がする。

一日一チベットリンク

 小雨の降る中、聖火リレーは会場を出発。沿道には中国の国旗を持った市民が集まり、歓迎ムードを演出した。一方で、チベット独立を支持する女子大学生がチベットの旗を振り、中国の人権改善を訴えた。女子学生の周りに中国を支持する市民が集まり、小競り合いが発生。警備当局が女子学生をその場から連れ出す一幕もあった。

*1:テトラベンゾポルフィリンという半導体

*2:勝手に強調した