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"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

近況

学生最後になる24回目の誕生日を京都で迎えた。去年はホーチミンで、4年前はイタリアで誕生日を迎えた。24歳相応の振る舞いというのがあるのかもしれないし、別にそんなことはどうだっていいのかもしれない。

メール以外で140字以上のまとまった文章を書くのは実に久しぶりだ。恥を忍ぶと、ブログを書かなくなる前はくだらない投稿でも書いて推敲するのに平均2時間ほどかけた。原稿をGoogle Notebookにため、投稿のタイミングを計算し、書いてからも読者の反応を見るのが楽しみでたまらなかった(はてなスターが生まれてからの効果は特に大きい)。ご覧の通り、この1年は告知程度の2本しかエントリを書いていない。心配している人などいないかもしれないが、ブログを書かなくなったのははてなアルバイトをやめたからではなく、単にTwitterの楽さに目が眩んだだけだ。

Twitterそのものの説明は必要ないと思うが、すぐ分かる通り僕のTwitterはprivateだ。privateにしたのは就活ブログやソーシャルメディアマーケティングが流行り出した頃で、ファンだったアーティストが流行り出すときによくあるような微妙な気持ちだった。会社から隠したのではなく、自分の家でTwitterで揉めるのは損だからだ。特定の使い方を強要されるのはごめんだし、今後もどう使うか分からない。実家を離れたらpublicに戻すだろう。

近況を二、三報告しておきたい。研究は絶賛迷走中だ。流行のwebやAR(拡張現実)で何かやろうと思っていたけれど、今はcrowdsourcing(cloudではなく)というダブルクオートつきの代物を扱っている。僕の研究室は市場・組織情報論といって、客員教授であるbossは東京にいるので招集もたびたびで、就活なんて関係なく東京で人に会える。専攻は社会情報学といって、これまた外部の法学や危機管理や教育や色んなところから学生が来ていて実に多様な環境で、卒業した理学部と似て居心地がよい。偉そうに言えることではないが、webを見てもよくわからないので研究室に実際に遊びにくる人も多い。

まだ研究成果なんてないしほとんど調査ばっかりだけれど、はっきり分かっているのは情報科学的なパースペクティブだけでは狭いということだ。社会情報学なので社会学、心理学、経済学、組織論も時々読む。ブログでも書こうと思い立ったのは、ブログを書くという褪せてしまった感覚が懐かしくなったからというのと、こうしたインプットに見合うアウトプットをするべきだと思い始めたからだ。

相変わらず、町家スタジオで実験的に色々な活動を続けている。同志とはこぶ*1と名付けたその団体は軸こそ定まっていないが、数知れない出会いを生んできた。町家を離れるのも心残りを増やすが、逆にこのコミュニティを飲み込めるような人が出てきてくれればとも期待している。

来年から東京で働く会社は、就活のためにはてなをやめた1週間後に内定をくれた。大学選び、大学院選びで東京という選択肢もあったのだが、結局ずるずると京都に残り続けた。変化から生まれる物も色々あるだろう。起業がどうこうとか騒いでいた僕の就職は多くの期待を裏切るかもしれないが、経済的・精神的自立のためだ。就職が決まったからといって就活が終わったと思うほど呑気ではいないようにしたい。

社会人でも就活マッチョでもない僕がアドバイスできることは少ないが、いろんな会社を見た方がいいという意見に個人的には賛成だ。できるだけ自分から遠い、一生に一度オフィスに入れたら満足かなという会社を見るのもいい。僕もコンサルや外銀のような華々しい業界を見た(軒並み落ちたが…)。行く場所は一つなのだからと思うならば、自分の墓の前で60年待っていればいい。旅だと思えば何でも楽しめる。

そうは言いつつ、ある範囲で自分の収まるべき(この表現は嫌いだが)就職先になりそうだ。シリコンバレーや上海にも足場を広げ、飲み会でReal World Haskellの話をできる人もいる。

残念なことに、エンジニアリングに無限大の希望をもてなくなっている。はてなをやめた理由の一つは、自分をエンジニアだと規定することに疑問を感じたからでもある。エンジニアリングを否定するわけではないしコードは書く楽しみは忘れていないが、GoogleTwitterFacebookやそれが乗っかっているインターネットを作るという偉業はどうしてなされたか、あるいは日本でどうしてなされないかを考えるのは無意味ではないと思う。エンジニアも重要だが、それにも増してアーキテクトが重要なのかもしれない。

上から目線で申し訳ないが、基本的にこのブログは僕がはてなのサーバーの片隅で生意気なことを書く場であるとご容赦いただきたい。

叩かれるもまた善き哉。

*1:http://blog.hacobu.org/