"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

Pirika感謝祭

ゴミ拾いソーシャルアプリPirikaのゴミ拾いイベントに時おり参加させていただいているのだが、
先週その感謝祭が代官山のOpen Network Spaceで開催された。
既にTechCrunchやビジネス誌にも登場しているし、
話題に上るたびに理解者であるパートナー企業や提携自治体の方が増えているように思え、
Pirikaチームの巻き込み力に恐れ入る。


Pirikaユーザーの行動を支える大きな要因がWebを介した「ありがとう」であることはユーザーなら恐らく首肯いただけるだろう。
自分が町をきれいにした行動の一つ一つに対し、これまでもらえなかった感謝の印を誰かからもらえる。
フィードバックのサイズとしてはFacebookの「いいね」もこれに似ているが、Pirikaほどストレートな感謝の意味が常にこもっているわけではない。


さて、ヘビーユーザー(そしてイベントでよくお会いする常連さんでもある)のpopolon6さんが感謝祭でPirikaのエピソードとして「リアルありがとう」について語っておられた。
Pirikaを通じて得られる「ありがとう」は嬉しい。
ゴミ拾いを通じてそれでもなお気づくことに、「リアルありがとう」の温かさがある。


これが印象に残っているのは自分の経験でも大きく共感するものがあったからだ。
会社帰りのPirikaイベントで日の落ちた宮下公園のゴミを拾っているときに、「ありがとうございます」と声をかけられたのだ。
公園の運営関係の方かもしれない。
拾っているゴミはタバコが多く、際限がないというのがふさわしい状況だ。
隣にも黙々とタバコを拾っている別の団体がいる。
感謝祭の事業報告でCEOの小嶌(こじま)君が教えてくれたことだが、渋谷には他の地域と違ってタバコポイ捨てを禁止する条例がないそうだ。
この地区の清掃に携わる人には共通の悩みであるのかもしれない。
なんだそんなことか、と思われるかもしれないが、さりげない一言の「ありがとう」は「そんなこと」も運んでくる。
Pirikaで「ありがとう」を考えるときに今のよさはもちろん忘れず、このリアルな「ありがとう」の温かさも心にとめおかなければいけない気がする。


何か野心的なものを秘めるCEOの小嶌君は学生時代に世界見聞の旅を企て
(余談だが自分も彼のグランドツアーで使われたバックパックをお守りに借りて旅に出たことがある)、
道中で見た世界各地の汚れた道路や川にショックを受け、
これを綺麗にすることを自分のミッションとして実行に移し始める。
この動機だけでも十分応援に値し、またもっと語られるべきものではなかろうか。
彼とはたまたま大学院で近いところにいて初期の開発に携わったのだが、
何事にも常に感謝を絶やさずに目標へ進み続ける彼が困っているなら助けになれないかと思うのは自分だけではないはずだ。


そんなわけで、
この日はまた今年一年大きく成長したPirikaからの「感謝祭」ということであったのだが、
ふとした気づきを与えてくれたPirikaの皆さん、こちらこそ「ありがとう」。
来年もご活躍を楽しみにしています。
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