"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

「〜的の」という日本語

昔の本を読んでいると「〜的の」(あとには名詞が続く)という日本語が結構出てくる。
現代では形容動詞の「〜的な」が一般的になっておりほとんど見かけない(少なくとも国語の授業で習ってはいない)ため、見かけるたびに気になるのだが、言及しているWeb上の情報をあまり見たことがないので少し例をまとめる。
都度メモしてはいないのでコーパス少納言」で「的の」という文字列で検索し調べてみた。
http://www.kotonoha.gr.jp/shonagon/

「がんらい円とか直線とかいうのは幾何学的のもので、あの定義にあったような理想的な円や直線は現実世界にはないもんです。」
(夏目 漱石 1867,吾輩は猫である (上) (ポプラ社文庫―日本の名作文庫) 1905)

この歌に限らず、すべて敍景を本位とした寫生的の歌は、特殊の場合を除く外、たいていは俳句にした方が效果的である。
(萩原 朔太郎 1886,萩原朔太郎全集〈第7巻〉歌論・俳論 (1976年) 1987)

「隠れたる我が太陽を、潜める天才を発現せよ、」こは私共の内に向つての不断の叫声、押へがたく消しがたき渇望、一切の雑多な部分的本能の統一せられたる最終の全人格的の唯一本能である。
(平塚らいてう 1886,元始、女性は太陽であった―平塚らいてう自伝〈1〉 (国民文庫) 1911)

米本国の意向を始終気に病んでいたGHQの高官連の対米的の気のつかい方は、人目にも気の毒のことはよくあった。
(白洲 次郎 1902,プリンシプルのない日本 (新潮文庫) 2001)

ただ、法人につきまして、今、世界どこでも本社を立地できる時代でございますから、法人の税負担というのはやはり国際的の水準というものがあって、それより余りに重いということは、我が国の場合いろんな意味で、これは企業ばかりでなく雇用の問題にも関係し得るわけでございますから、もう少し軽減していくべきだと思っておりますが、...
(宮澤 喜一 1919,国会会議録/衆議院/常任委員会 国会会議録 第112回国会 1988)

建築物や設備は使うことにより,また時の経過により技術的,経済的の不適応により価値を逐次減損する。
(山本 公喜 1920s,アパート経営のことならこの1冊 改訂2版 (はじめの一歩) 2005)

少し時代が下って戦中・戦後生まれになると以下のような例がある。

ところが放送を聴いていない人たちが何かはっきりした内容の発言をするとすれば,その発言は非合理的のものとならざるをえず,それは「肯定」あるいは「否定」のいずれの方向にせよ,極端なものになってしまうということである。
(真鍋 一史 1940s,ファセット理論と解析事例―行動科学における仮説検証・探索型分析手法 2002)

しかし、いわゆる科学的常識というものからくる漠然とした概念的の推算をしてみただけでも、それがいかに多大な分量を要するだろうかという想像ぐらいはつくだろうと思われる。
(松本 哉 1940s,寺田寅彦は忘れた頃にやって来る (集英社新書) 2002)

吾々が今日の蚊帳に満足せぬ迄も苦情を云わずに毎晩釣って寝て居るのは、吾等の親もその親も此れを釣って寝たというだけの理由で蚊帳といえばこんなものとあきらめて居るだけの事であろう。決して理想的の蚊帳ではない。
(町田 忍 1950,蚊遣り豚の謎―近代日本殺虫史考 (ラッコブックス) 2001)


このコーパスは著者の生年代が出てくる。
確かに文章の初出年だけでなく著者の生まれた時代も文体に影響を与えるように思えた。その順に並べてみた。

閲覧できる最初の500件のうち、「目的の」「標的の」といった文字レベルでしかmatchしていないものや、「〜的のように思える」などの現在でも違和感なく使える例があり、それらを除くと32件しか残らなかった。

思ったほどの例は集まらなかったが、検索のノウハウを積むべきところはありそう。

1960年以降生まれの例は見当たらなかったが、全ジャンルで拾うと多すぎてそのうちの一部しか見られないので書籍などのジャンルを細かく絞ってみていけば見つかるかもしれない。

また最初の500件に含まれるキーワードで改めて検索をすると別の例が出てくる。
例えば「国際的の」で検索すると、最初見つからなかった国連憲章の訳文の第1章第1条が見つかる。

国際連合の目的は、次のとおりである。
国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。

(主な活動|国連広報センター)

最新版の訳文の年代は不明だが、1945年当時からおそらくそう変わってはいないのではないか。