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"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

沖縄

trip history

家族と沖縄を観光した。
冬でも昼間で20度を越えた。
さすが南国、京都からの着込みで軽く汗ばむ。
空港から適当に市内の食事処を探しソーキ蕎麦をいただく。


沖縄には13年前、沖縄サミットの直後、安室奈美恵の『Never End』が大人気を博していた頃に家族で一度来た。
今回は高齢者と一緒だが、首里城に行くと車椅子が貸し出され、スタッフの皆さんも非常に親切で有り難い。
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首里城で展示されている琉球国王印のレプリカには満洲文字が刻まれている。
国王印は18世紀に清の乾隆帝から贈られたものであるが、当時の国際社会で立ち回ろうとする琉球王国の姿が伺える。
やや遡って17世紀、漢民族の明が満洲族の清に革まったことで、東アジア一円に衝撃が走った。
交易国家の琉球も例外ではなく、中国貿易が一時途絶することで危機に陥るが、明を見限って清につくと同時に、現代の本土民が認識する「琉球文化」の原形が形成される契機ともなった。


まず羽地朝秀による農業化改革が行われ、砂糖やウコンといった主力商品を生産して日本に輸出することに成功する。
ついで、蔡温による中国化路線。首里城の祭礼では紫禁城の方を拝み、儒教やシーサーが普及し、琉球近海の船は中国のジャンク船を模したものに変わる。
中国化改革の目的は、琉球との朝貢貿易を縮小させようという清の動きを回避すると同時に、琉球幕藩体制に埋もれてしまう前にその新たなアイデンティティを模索することにあったのではといわれる。


王朝交替のどさくさに紛れ、国王冠の玉列も7列から12列にアップグレード。
先述の王印の隣には12列バージョンの冠が展示されている。
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実は宗主国の中国皇帝のそれと同じ数であり、中国の権威を借りて国内での求心力を高める効果を狙ったそうだ。
一方、清朝では既に漢民族式の冠は廃されてしまったため、刺激することなく関係を継続することができたという。
日本、明、清と国内諸勢力との間で琉球が発揮する絶妙な外交感覚、侮れない。


世界遺産の『琉球王国のグスク及び関連遺産群』は首里城跡だけでなく琉球の歴史を残す様々な史跡が含まれる。
その中の今帰仁城跡を訪れた。
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グスクは城という字を当てるが、天守閣はなく、石垣や碑、御嶽と呼ばれる聖域が目を引く見所となる。
山間の景色も見応えがある。
琉球王国からさらに遡って三山時代首里城は中山の、今帰仁城は北山の本拠であった。
北山は面積こそ大きかったものの、国力では中山・南山に劣っていたようである。
沖縄本島は北半分が山がちな島であり、今帰仁城が難攻不落の要塞であるためには重要であったかもしれないが、国の発展を考える余裕はあまりなかったのかもしれない。


現代の沖縄の地図は、やはり米軍の存在感を実感させる。
飲み屋の会話にふと耳をそばだてても、政治的な話が心無しか多いように思える。
ラジオをザッピングすれば嘉手納基地の局からヒット曲が流れる。

タクシーのドライバーさんは自動車道を走りながら、これが普天間、これが嘉手納、あれがキャンプハンセンと、よく聞く名前を挙げる。
沖縄渡航にパスポートが必要だった時代の話と現代の話が交互する。
沖縄県内の米軍基地への郵便はカリフォルニアの住所でも配達されるという。
それでも経済的にはやはり米軍への依存が高いので、と漏らす。
風で飛んだか撤去されたかわからないが「流弾に注意」という看板もあったという。*1

気楽なリゾートのイメージを押し出そうとしている沖縄の複雑な歴史が、俄に現前する。