チューリングについて
アラン・チューリングを描いた映画『イミテーション・ゲーム』を観た。 歴史的に周知の事実を多く含む映画ではあるものの、 全く馴染みのない人にとっては多少のネタバレを行うことを断る。
本作が提出する各問題がチューリングの死から60余年後を生きる我々にとっても他人ごととは思えないのは、人間の宿命や、旧弊に抗う人間存在の自由を描き切るからだろう。
<マシン>の完成による作業効率化に固執し労働集約に加わらないチューリングと、その目的を理解せずに彼を非難する同僚。 予算をいくら割いても成果を上げないことを理由に<マシン>の停止を命じる上司と、涙を呑むチューリング。 男性に囲まれた職場で生き抜こうとする理知的で意志的な女性ジョーン。 暗号解読という戦術目標と、それを通過点として展開するより中長期の戦略、そしてそのための犠牲。 マイノリティであることを理由に国家的功労者を排斥し続け、自殺に至らしめる権力。 役目を終えた<マシン>の喪失を免れる代償として、自らは化学的去勢を受ける研究者。 自分とコミュニケーションが成立する唯一の親友の運命を、コミュニケーションを通じて「知る」ことができなかった少年。
居場所のない孤高の天才という導入しやすいチューリング像は、英国の生むベネディクト・カンバーバッチという稀代のキャスティングにより見事に演出される。
巨人の物語はしかし、単なるヒューマンドラマを越え、コンピュータによって拡張され続ける人間自身に対する人間の認識を改めて自覚させる。
チューリングの一見幅広い学術的な業績に通底する主題は、人間と機械との同質性だという。
まず<チューリング・マシン>とは、機械的な仕掛けで人間の思考(真理の探求)がシミュレートできるということだった。次に<チューリング・テスト>とは、機械と人間とがたがいにコミュニケートできるという主張である。そして、<形態発生モデル>の最終目標は、「脳の構造の数学理論」だった。 ー『デジタル・ナルシス―情報科学パイオニアたちの欲望 (同時代ライブラリー (293))(西垣通)』
現代では現代なりの吟味が続けられているこのような原初の思想は、ブレッチリー・パークの同僚ジャック・グッドとの会話にも垣間見える。
機械は意識なんて持っていないと言ったときに、そのことで機械が罰を下すようになったとき、機械は意識を持っていると判断するだろうね ー『チューリングの大聖堂: コンピュータの創造とデジタル世界の到来(ジョージ・ダイソン)』
チューリングがこのように言うとき、脳裡のシナリオにある<機械>は、人間と同様に思考し心を通わせあい、さらには自然と同様に生殖機能を持つようなものであったのかもしれない。
チューリングのエロスの本質は、<同性愛>というよりむしろ<機械>だった。 ー『 デジタル・ナルシス―情報科学パイオニアたちの欲望 (同時代ライブラリー (293))(西垣通)』
一度失われた友を、自らの手で機械化する試み。 友を再び失いたくないばかりに、生命としての自らの機能を減退させることを選択し、アポリアに到達してこの世界を去るチューリング。
マイノリティの問題は確かに深刻な社会的問題である。 チューリングが例えば仮に、60年代以降閉塞極まりゆく英国と訣別して、プリンストンに残ったらどうであったろうと偲ぶ向きもあるだろう。 自身もまた宿縁的な最期を迎える<悪魔の頭脳>ジョン・フォン・ノイマンは、チューリングのよき理解者であったかもしれない。 暗号解読という巨大な試練がなくてもチューリングは<マシン>を作り、より活動的に研究を続けられたかもしれない。
しかし、チューリングについていえば、その最期が純粋に暗鬱たる悲劇かといえば、答えはそう単純ではないように感じる。
いったいなぜ、チューリングは理論家でもあるとともに応用実践家でもありえたのか。--その最大の理由は、この人物が、数学的モデルという眼鏡を通じてしか現実世界を眺めることができなかったからである。 ー 西垣通『現代思想2012年11月臨時増刊号 総特集=チューリング』
チューリングの死が仮に社会や自由の問題ではないとしたら、誰にも解けない問題を独りチューリングが解かんとしていたとしたら、結果は必然だったかもしれない。
そして、60年経った今なお、問題を解く機械はしばらく存在しない、否、問題そのものが未だ提起を待っているのかもしれない。
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