"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

新世界を迎えて

ドナルド・トランプ共和党候補が、波乱の米大統領選を制した。選挙人の誓約違反がない限りはこれで決定ということだろう。民主党ヒラリー・クリントンの敗因については詳細は専門家に任せて、自分に理解できる範囲で整理するとこんなところだろうか。

  • トランプ支持者への度重なる人格攻撃が、投票権をもつ匿名の隠れトランプ派を大量に発生させた、あるいは、ヒラリーを嫌っていた層の背中をひと押しした
  • 有力メディア・リベラル・エリートのほぼ全てが、バイアスのかかった情報に基づき趨勢を読み誤った。ヒラリー陣営の遊説戦略も軽重を誤った
  • 加えて、民主制というには旧弊で複雑な選挙制度が、情勢にとどめを刺した

さて、ここはカリフォルニアだ。知人たちはヤケ酒し、カリフォルニア中の大学や路上で、後の祭りというべき抗議が行われている。投票直前でさえ大人気なく「選挙の結果を認めない」と言い張ったトランプの発言が、まさに今そのまま逆の構図で現実化している。こういった動きを共感しつつも少し醒めた目で見てしまうのは、彼らエリートはカリフォルニアが米国において特異な州であることも未だに理解していないし、あくまでカリフォルニアから出てアメリカを変えようとはしないということが改めてよくわかるからだ。スタンフォードは中西部にゆかりのある学生に向けて、中西部の経済向上に貢献することを条件としたフェローシップを発表しているが、これが数年前に真価を発揮していれば、とも思える。

しかし、上から目線で他人を叩くとロクなことがないことが痛いほど分かったのでこれくらいにしておいて、ここからは内省をもって煙に巻いていきたい。今年、民主主義は理知的な言説の限界を見た。そうだろうか。もしそうであってもやはり、引き続き頭の中のものを恐れず吐き出し続けることが意味を持つに違いない。

なるべく冷静を保ちながらカフェで夜のニュースに張り付いていた(最初はニュースを見ながら勉強するつもりだったが、プライベートなことで消耗しきっていたので諦めた)のだが、一夜明けた今朝は夢ではないかという気持ちでいっぱいだった。多様な社会にこれだけ敵を作ることを厭わない人間を、多様性社会と言われる米国民が総意として選んだという事実、それ以上に、彼の言動をよしとする人間が肩で風を切る世界になっていく予感に、自分もはっきり言って戦慄を禁じ得なかったのだ。

逆に言えば、自分が守りたいもの、脅かされることが許せないようなものが(薄々分かってはいたが)見えたということだ。

自分の身近な人の多くが守りたいのは家族であったり特定の伝統文化であったりするのかもしれないが、自分の力点はそこではない。

いつからか、特定の価値観や人生観が周囲に蔓延してくるとそこから脱出したいと思うようになり、自分にはホームと思えるコミュニティがそう多くないのだが、この一見滑稽な人たちが凝集した土地には、脱出したいと思える要素がない。命の危険を除いては。いくら斜に構えてみても、自分もやはりスマートでリベラルな人が多いカリフォルニアを愛する一人で、その真逆の社会に自分が腰を据えるイメージはもてない、同じ穴のムジナなのだ。

リベラルや多様性そのものが究極の目的となり相対化できなくなったとき、正しいかどうかを超越して、それが一つの信仰であるということと、自分がその信者であることを、認めざるを得ない。そのことを自分の不安な心拍が告げたのが、今朝のことであった。

真理とは、それなしにはある種の生物が生存できないような一種の誤謬である (ニーチェ)