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"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

クリスマスソング

サンクスギビングバークレーはゴーストタウンのようだったが、たまたま立ち寄ったカフェは開店していた。Instagramの投稿が雄弁する理由を見るに、バークレーらしいというかなんというか。

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この写真はアダムスファミリー2で、先住民の歴史を知った少女がサンクスギビングで大騒ぎする一幕だ。フィデル・カストロが没したのでまた暫くしたら行ってみたい、ゲリラカフェ。

サンクスギビングが終わるとあちこちでクリスマスソングが流れ始めて、何故か少し複雑な気分になった。日本でさえこの季節からクリスマスモードになるのはもう珍しくないというのに、それがアメリカで流れることに何の違和感があるだろうか。そういえば30歳の12月に一人セントラルパークで吠えるブルースがミスチルにあったなと思い出すが、そういう気分というわけではなさそうだ。多分もう少し特殊な事情が原因だ。

自分はクリスチャンではないがミッションスクールの出身だ。特にミサ曲のようなクリスマスソングが普通の人以上に刷り込まれており、ラテン語も割と身近だ。聞いた瞬間に高校時代に引き戻されるのだ。

しかし、トラウマがあるというわけではない。むしろ、代々受け継がれる聖劇を喜んで運営する側だった。宗教心もなく生意気な人間にしては意外なことに、厳かな降誕の物語を再現する慣行に敬意を払い、卒業してなお、愛していたとさえ言える。そういうわけで今でも、カリフォルニアやサンフランシスコの起源を語るミッションの史跡に、(フニペロ・セラが行ったような伝道活動が妥当であったかはさておき)少なからぬ畏敬を覚える。

それならクリスマスソングにも些かの郷愁を感じてもいいはずだが、強制的に昔を思い出させるようなものに対する警戒があるのかもしれない。目に入るものを自分で選ぶことは可能だが、そこにいながら聞こえるものを避けるのは難しい。そして音楽は脳処理の空いているスロットをたやすく支配し、精神をコントロールする。

たとえクリスマスソングに流行があるにせよ、まあ流れる曲はアメリカも日本も同じだろう。一つのターニングポイントを迎えつつあるこの国で、この一ヶ月間は「変わらない伝統」を強く意識せざるを得ないという予感に、本能的に体が混乱して身構えたのかもしれない。少し病的だ。