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"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

カルヴェ『社会言語学』など

language reading

我々は日頃、正しい日本語あるいは正しい英語という頭の中の言語規範からなるべく外れないように社会生活を送る。一方、多くの言語学者の立場によれば、言語というのは本来いろいろな要因により(通時的共時的に)変化をみせるものである。言語を変化させる社会的な要因や変数の存在を仮定し、さまざまな社会学的検証を試みるのが社会言語学である。

社会言語学の系譜

社会言語学 (文庫クセジュ)

社会言語学 (文庫クセジュ)

本書は1993年にクセジュから出た社会言語学の入門書である。類書と違う印象を受けるとすれば、自然と研究例もフランコフォニー(フランス語圏)が多い点である。

例えば歴代フランス指導者の演説における、リエゾンにおけるアンシェヌマンの推移などは(フランス語に頻繁に接しない日本人が親しみを持つのは難しいとしても)データとしては面白い。

フランコフォニーにおける言語問題といえばケベックやベルギーのケースを無視することではできないはずで、カルヴェには言語戦争や言語政策についてのより詳細な著作もあるが、ここでは本書から社会言語学の歴史的萌芽を簡単に追ってみる。

本書においては必然の結論となるが、言語学は言語の研究というよりも、言語共同体の研究となる。

強調しておかねばならないのは、「被支配的言語」という表現は、(「支配的言語」という表現と同様に)一つのメタファーだということである。支配されている(あるいは支配している)のは、言語ではなく、人びとなのである。

社会言語学言語学の一部であるのではなく、言語学そのものであるということになる。著者カルヴェは冒頭で、社会言語学こそが言語学であるというこの立場の系譜をアントワーヌ・メイエに求める。我々は近代言語学の祖としてフェルディナン・ド・ソシュールを知るが、メイエはソシュールの門弟であると同時にソシュールに対峙し、社会学的現象としての言語を強調する。メイエの労苦はあったものの、ソシュール以降の言語学は大筋として、言語の内部構造を主要な立脚点とした。たとえば生成文法の先駆であるチョムスキーは、脳機能の内的なシステムとして言語の分析を行った。

社会主義圏の言語学

ヨーロッパである意味無視されていた言語の社会的側面の研究は、はじめマルクス主義と熱烈に結合し、ニコライ・マルの新言語理論がソビエトロシアの庇護下で公式化される。その要旨は「言語には段階的進化があり、それは階級闘争や社会の進歩と対応する」といういかにもなものであり、

それを批判する者たちは、シベリアの言語状況を分析しに行かなければならない危険性が多分にあった

という(フィールド調査の重要性に鑑みてもなお)アネクドート的状況であった。批評家ミハイル・バフチンは「ソシュールは言語記号がイデオロギーの場であることを理解しなかった」とまで断じる。

しかし、この後にソビエトの強権を握ったグルジア生まれのヨシフ・スターリンは、言語の階級性を否定した。言語学的な意義はともかく、おそらく彼の生涯では最も穏当な部類に入る政策であろう。ソビエト育ちの新言語理論は、1950年頃、ソビエト自身によってあっけなく葬り去られ、今度はその場を中国へ移して、普通話の標準化などの政策へ接続していく。

社会言語学そのものの可能性が、没政治的ではありえないというメタなストーリーがここには読み取れる。

米国における展開

科学史に名高いメイシー会議はニューヨークで開かれ、1946年から1953年までの10回にわたり、サイバネティクスという新しい科学の端緒を切る。ソビエトや中国では袋小路に入った社会言語学も同様に、英語圏で新たな時代へと入っていく。

英国のバジル・バーンステインは連帯に関するデュルケームの類型に着想を得て社会階級と子供の言語コードの関係の分析を試みる。ウィリアム・ブライトは1964年にロサンゼルスのUCLAに25人の社会言語学者を招集する。その成果は社会言語学の対象の体系化、報告書の刊行として結実したが、社会言語学はまだ言語学あるいは社会学をサポートする従属的な領野であるという位置づけに変更はなかった。これに対し、社会言語学こそが言語学であるという方向づけを主張したのはこの学会にも参加したウィリアム・ラボフである。

先述のメイエは時代の比較言語学者らしく、あくまで古典語にフォーカスした。ラボフは世紀のメトロポリスであるニューヨークを拠点に生の英語を観察し、1960年頃の研究ではマサチューセッツの離島民の英語と、次いでなされたニューヨークのデパート職員の英語の調査が有名である。前者においては二重母音の発音と、住民が失業率の高い島にとどまるか大陸へ渡るかという意志の間の相関、後者においては母音の後のrの発音と、職場のデパートが大衆向きか高級デパートかの間の相関を突き止めた。ラボフの一連の研究は、構造主義言語学の呪縛を離れてパロール(実際の発話)を重視する音声学的側面、それを話者から引き出す実験手法、社会的分布との関係性を見る検証の方向性の面で一つの金字塔となった。

バイリンガリズム

さて、本書から20年以上を経ている現在、社会と言語がどのように相互に影響しているのかといういくつかの風景をメモしておく。

カリフォルニアでは2016年大統領選と並行していくつかの法案が可決した。そのなかのProposition 58は1998年に導入されたバイリンガル教育の制限(Proposition 227)を廃止するものである。

移民の多いカリフォルニアで多様性を育むことを目指す言語教育が推進されることは一見自然ではあるが、それでも20年前に優勢であったのは、英語以外の言語を話せる教員による教育機会を極めて限定する同和的な言語政策であった。その根拠は、英語単一での学習に絞ったほうが、学習が効率化されるというものであった。接触する言語の選択肢が多様であることの学術的な重要性だけでは、言語やアイデンティティを選択することで経済的・戦略的に人生を設計していくのは最終的には話者本人であるという実存的な地平を完全に被覆することは難しい。

本書の段階では、ベルファスト北アイルランド)の中国語コミュニティに関する研究(レズリー・ミルロイ,1980)によれば、イギリス生まれの中国系移民は、親の中国語を解しても自らはなるべく英語で話そうとしており、これは移民第一世代が中国語で話そうとするのと対照されている。ラボフの離島民の研究をみても、あるいは簡単な内省をもってしても、本人のおかれた、もしくは望む社会的状況によって使役する言語が変わるというのはありふれた自然現象である。

この数十年のアカデミックな進展や社会状況の変化を加味するのであれば、親の生まれという単純な社会的カテゴリに限らず、多層的な社会的ネットワークによる言語分布への影響、および個人の思考傾向と言語の関係に関する論争や知見も無視できないであろうことが予測される。

ジェンダーと代名詞

英語圏ではhe(男性)/she(女性)という代名詞の区別が伝統的であるが、従来の性別にこだわらない人称代名詞としてxezeといった新しい代名詞を導入してはどうかという議論がある。

カリフォルニアでも、イベントで使う自己紹介用のラベルに、名前と共に「自分がどういう代名詞を使ってほしいか」を記入するようすすめられることがある。ここでの選択肢は恐らくまだhe/sheに限定されるであろうが、そのどちらを使うのか外見から明らかであるという決めつけをせめて回避しようという試行錯誤の例である。上のような言語的状況は、性別に関する固定観念をいったん保留しようという社会運動のムードと呼応している。

ちなみにトルコ語の三人称人称代名詞ジェンダーの区別なくOである。これが英語話者を(ときに受け入れがたいレベルで)戸惑わせるのを見るが、2つ、もしくは中性をいれて3つのジェンダーが区別されなければならないという要請が必然ではないのは言うまでもない。

多文化言語と発音

英国のヨーク大学およびHSBCの社会言語学者ドミニク・ワットらは2016年9月に、50年後のイギリス英語の姿に関する予測を行った。英語圏におけるロンドン英語の影響力を前提とした、今世紀半ばの興味深い英語像が描かれるのであるが、例えば発音に関する部分は以下のようになる。

ロンドン訛りとしてのコックニーに取って代わった多文化ロンドン英語(カリブ・西アフリカ・アジア移民の影響下にある英語)では、例えば英語に極めて特徴的なth音は消滅しdis(this)となる。英語話者以外には馴染みがないth音の学習に苦しむのは日本語話者に限らず、たとえばスペイン語話者も時々この発音をする。しかし変化はこれにとどまらず、たとえばfink(think), muvver(mother)のような音も増えるかもしれないと聞けば、驚かずにいられない。

英語のrやlもほとんど存在感のない音になる可能性がある。英国南部においてwとrは既にかなり似ており、同様にtreesとcheeseの区別もほぼなくなる可能性があるという。このケースも、例えば広東語話者のtreeなどを聞くと頷ける。

もっとも、『マイ・フェア・レディ』原作者ジョージ・バーナード・ショウの名高いミーム"ghoti"よろしく、不可解な綴りは残るかもしれない。英語において、これは常である。