"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

トレードオフリターン

ところで、時給という誰の目にもわかりやすい指標についてはどう考えておくべきだろうか。

何かのプロフェッショナルとして評価されることを目指すならばまず生産効率を追求すべきだと思う。効率は生産量の時間に対する比だ。しかし同時に報酬が高いということも自分自身の安心材料ではある。報酬といっても労力や時間に対する報酬と生産量に対する報酬がある。効率と時間給、成果給(ここでの用法はちょっと違うと思うが)の三つをともに上げることを目標とすることができればもちろん素晴らしいが、数学的にいってそれはどだい不可能な話なのであって、何かを犠牲にしなければならない。

このことは労働時間も給料も一定の仕事では大して問題にならない。まして弁当箱詰めのような誰にでもできる仕事の場合、つい自己研磨なんてものは忘れてサボりがちになってしまう。時間給が一定だから、成果給を上げるには作業効率を下げればいい。バレさえしなければトイレでフケっていても給料だけはもらえる実に割のいいシステムだ。合理的に考えるとこういう仕事を必死にやるのは馬鹿げているのだが、実際のところは、ルーチンワークであまりに頭がヒマなので効率を追求し成果給を下げてしまうという(自分としては)非生産的なことをやってしまうもの。

もしこれが「終わるまで帰れない」とかいう条件だったりすると話が変わってくる。時間給を重視するのなら早く帰れるようにがんばって仕事するだろうが、成果給の方が大事なら自分の作業量が少なくなるようにやっぱりサボるだろう(もちろんその分他人が頑張るわけだが)。そのへんは価値観の違いだと思う。自分ならやはり適度に一生懸命な態度を見せておくだろう。

そして今一番大事なバイトの報酬もやはり謎だ。時間給はやはり一定だから時間をかけてだらだらやっていればそれだけ給料は増える。一見おかしいけれど、金銭報酬に限らずリターンというもっと広い視点で考えれば何でもない。つまり金だけ欲しいという価値観で生きるのならどんどん効率を下げればそれだけ成果給は上がっていくが、「あいつは給料欲しさにわざとのんびりやってるな」と思われるようになる。逆に初めに書いたように自分自身の見積もりを上げることを目標に掲げるのなら、なんとしても完成までの時間を削ることを考えなければならない。その結果時間による給料が減って結局成果給も下がることになるが、「こいつはこのプログラムを数日で書いたのか」と評価は上がることになる。まぁ、実際にはプログラムを完成させれば時間給と別に本当の意味の成果給があるから、それもこの枠組みにはまらないモチベーションの一つにはなる。

で自分がいまどういう状態なのかというと、初めはすぐ終わるだろうと思っていた作業が長引いてきて明らかにデスマーチ化(?)しつつあるにもかかわらず、給料明細を見て「自分は仕事をしている」と錯覚を覚えてくる時期にあるらしい。そこに書いてある額が大きいってことはお前が仕事ができないって意味なんだよ、勘違いするなよ。と戒めておこう。

結局、時給なんてものは幻想にすぎないのかもしれない。個別指導や塾講師のバイトを避ける理由として「準備やらなんやらで実質の時給が低すぎる」というのをよく聞くし、自分もその意見には大いに同意する。でも自分の場合、本当の理由はそれよりもただ単に「興味がないから」の方が大きい。より正確に言えば、給料とそのためにかける全時間の比よりもむしろ、自分の未来に対するその仕事のコントリビューションと、そのために注ぐストレス、精神的な疲労などの心理的エネルギーとの比を考えたうえのことだ。だから、仮に今の個別の時給が1万円に跳ね上がったところできちんと3月末で足を洗うに相違ない。逆にプログラミングのバイトをとっても、自分の評価を上げるためであれば自宅での勉強は厭わないし、そのために実質時給が700円を切ろうが地を這おうが一向に構わない。

こういう話は経済とか経営、マネジメントの知識があればもっとわかりやすく語れるんだろうけどな。