"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

トップダウンとボトムアップ

今回は結構なんでもない話。どっちかというと思考の整理用。

レバレッジ・シンキングという本を立ち読みしていたらパレート則に関してこんなことが書いてあった。以下抜粋ではなくかなりあやふやな記憶によるので注意。っていうか他の本かもしれん。

・受験生が日本史をマスターする最短の方法は過去問をやること
・勉強するぞと意気込んで開いた参考書の1ページ目はどうせ原始・古代に決まっていて、眠くなるまで頑張った次の日にはもちろん忘れてたりするわけで、また原始・古代の1ページ目からやり直して、というペースで頑張っているとただでさえ分厚い日本史の教科書がいつまでたっても進まない
・悲惨なのは原始・古代を何とかクリアしても、受験には殆ど出ないという事実
・それよりも過去問を買ってきてとりあえずやってみれば、自分の弱点がよく分かってそこを攻めようというポイントが掴める
・それを繰り返せばどこが受験に出てどこが出ないかが体で分かるようになる
・重要なのは全く手をつけていなくてもとりあえず挑戦してみること

半分くらいは納得。確かにセンター世界史の直前は理系科目そっちのけで過去問をやりまくっていた記憶がある。余談だが自分の周りには何故か理系にもかかわらず世界史フリークがうじょうじょいて、みんな9割レベルで争っていた。センターが終わったときの「世界史が終わった」的な燃え尽きようったらなかった。趣味でしかない世界史にみんながこれだけ熱中できたのも、過去問や模試という明快な能力指標がかなりの頻度であったからだ。

数学や物理で新しい分野の勉強をするときは、まず数式に惑わされないで教科書を一通り走り読みして、全体の流れを早く掴むように努める。大学の講義などでも、教授が全体の流れを説明してから話を進めるのと、全然意識しないで自分の流儀で突っ走るのとでは全然分かりやすさが違う。あまり細部の式変形や計算、証明にこだわって議論の流れを見失うのは理系学生が陥りやすい常で(ディベートでは詭弁、会議なら屁理屈と呼ばれかねない)、受験数学に苦手意識をもつ人はこの「鳥瞰」に長けていない人が多い気がする。

このトップダウン的な過去問戦術のポイントの1つは軽重を見る力がつくこと(2:8の比率を見極める)、もう1つは自分の弱点を早く知ることができること。

簿記3級の勉強をしたとき、問題集を一からやる時間がなかったので、最低限の授業を受けたあと模擬試験をひたすら解いていたら何とか合格圏に達した。このときに繰り返し言われたのは、試験では1,3,5番を最優先せよということ。これは、例年の配点からこの3問さえ完答すれば合格は間違いない、という実に2:8的な理由による。

また、「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」という通り、自分の弱点をつかむというのは大事だ。弱点をつかむということは目標までの距離を目測するということで、これは計画へのブレイクダウンにつながる。

ちょっと脱線するが、目標測距の例としては教室の片付けがある。サークルのボックスから教室へ機械、工具、私物、製作物、資源などの資材を移動し、それをボックスへ片付ける段になったとき、撤収がすぐ終わるときとなかなか終わらないときがある。撤収は短いほうがいいに決まっている。人手が足りないのも長引く一つの原因だが、それよりも問題なのは要員がいつまでもだらだらと撤収を始めず作業や談笑にふけっていたりすること。

ゴミと資材で散らかった教室を前に、熱力学第2則の偉大さをしみじみ感じたりしてなかなか手をつける気がしないときの対策はこうだ。まず足場を阻む電源ラインを回収し、全員に作業を断念させる。それから教室中の資材を片っ端からさっさと入り口の近くにまとめてしまう。こうすると、教室とボックスを往復する片付け要員が教室に帰ってきてまず目にするのは資材の山で、あと何人何往復くらいで片付けられるか一目瞭然になる。10人で運ぶものが実は3人で運べると分かれば労力を削減できる。一方、教室の前のほうに残るのは私物かゴミだけで、掃除だけすればよい。要は完全撤収までの道のりを早めに見積もること。

トップダウン戦術は「とりあえず、やってみよう」というチャレンジ精神にもつながる。最初の数ページだけ読んだだけでは心理ポテンシャル壁が高くてなかなか手をつけようという気にならない本でも、前書きと目次と、走り読みでキーワードをつまみ食いすると全体の骨組みがなんとなく見えてくることもある。あまり効果的なイメージではないけど、緩衝材のプチプチを潰すのに端から順番に潰していくか、ランダムに潰していくかの違い。これが緩衝材ならどっちだって知ったこっちゃないが、自己啓発やスキルアップにおいて尻込みは時間の浪費でしかない。

しかし、このようなトップダウンアプローチはそれ単独で有効なものではない。

センター世界史の場合、過去問である程度点数がとれるためには当然かなり網羅的な準備が必要。8割から9割に上げるのはそれほど困難ではないが、普段世界史に触れていないような人がいきなり3〜4割から9割に上げるのは結構根気が要る。

理論数学を本格的に研究したいような人は、うんざりするような証明の隅々まで根気強く追う訓練を軽視できないのも事実。数学や物理のノートでマインドマップが使いづらいのは、数式などに頼らないと見えてこない概念間のつながりが多々あるからだ。

自分の簿記の場合、もうすぐ2級の準備のため3級の復習を始めないといけないので、3級の要点だけつまみ食いという薄っぺらい勉強法がどう裏目に出るかは分からない。

例えば自分はlang-8という語学添削SNSをプッシュしているが、第2言語の勉強を始めたばかりの人に、いきなりその言語で日記を書けというのは、中学1年生に英語で日記を書けというのと同じで、どだい無理な話。一通りその言語の文法なり基礎語彙なりを勉強したけど忘れちゃった、まだ身についていないというくらいのレベルに達して初めて、日記を書いて添削してもらうという学習法の効果が最大限に発揮される。

ってなわけで、トップダウンとボトムアップの有効な組み合わせ、あるいは繰り返しにこそ成功がある。相反する二つの諺のように、事態はそれほど単純ではない。

レバレッジ・シンキング 無限大の成果を生み出す4つの自己投資術

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