"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

衛星とトロント

Garbage Collection(2008-05-23)

Google Map APIを使って衛星の現在位置をリアルタイム表示するGoogleSatTrackというサービスを作っている人が、世界中の宇宙局を巻き込んで話が大きくなっていく感動的なストーリー。

これを読んだとき、衛星はトロント上空にいた。トロントで過ごしたのは1ヶ月という短い間だったが、ときどき海の向こうの町に想いを馳せるたびに胸が苦しくなる。99%は夢のように楽しかった時間への懐古だけど、1%はとりかえしのつかないミスへの後悔だ。

英語学校への入学初日、遅刻ぎりぎりで教室に入るとクラスの振り分け試験が始まろうとしていた。15人くらいで丸く座ってTOEICみたいな試験を受けた。だいたい西洋系かラテン系の顔だちの中で、右隣の奴だけが東洋系で、しかもそいつが一番熱心に試験に向かっていた。よくわからないけれど負けるかという気になって試験を受けた。

試験が終わってからみんなでラウンジに集まってどうだった?とかぎこちなく話を始めた。他の生徒は授業中だったのでラウンジは静かだった。話してみるとその日の入学者の多くがブラジル人。右隣でがんばっていた奴は韓国人でRobertといった。学校では韓国人の生徒は、西洋人には名前が発音しづらいということで英語名を持っていることが多かったし、実際本名よりも英語名の方をよく使っていた。

経緯は忘れてしまったけどRobertとはすぐに仲良くなった。特に一緒にどこに行くというわけでもなかったけれど、ほぼ毎日ランチの時間にはラウンジで授業や試験について話した。まじめそうな見かけの割に遅刻が多くて昇級できないといって(まあそれは自己責任なんだけど)悩んでいた。自分のランチはたいていポーランド系のホストマザーの手作りサンドイッチで、感謝してはいたけど少し飽きていた。彼は自炊でサンドイッチとかおにぎりとかいろんな物を作ってきていた。

彼は自分より数週間早くこの町にきて、別の語学学校で時間を過ごしている間に日本人の女の子と仲良くなった。その子とは別れずに、手紙のやりとりでコンタクトを続けていた。この時代にラブレターかよ!と突っ込みたかったけど、どうも二人の間には言葉の壁をはじめとした微妙な距離からくるすれ違いがあるらしく、なかなか状況はシリアスそうだった。

その辺の機微がわからない自分は毎日適当な言葉で彼を慰めるくらいしかできなかったのだけど、ある日ガールフレンドとよりが戻ったと嬉しそうに言ってきた。自分は何もしていないんだけど、なんだか嬉しくなった。ランチのたびに「君はこの学校に一緒に入った一番の友達だ」と言ってくれたし、こっちもそう思っていた。

日本では結婚すると普通婿入りするのか、嫁入りするのかみたいなことも聞かれた。韓国ではまだ伝統的に嫁入りが圧倒的だと言っていた。

トロントを去る2,3日前に、Yonge & Bloor(四条河原町みたいなもん)の近くのバーに親しい友人たちを誘った。Robertは用事があったのだけれど途中から来てくれた。現地で借りた携帯のクレジット(補充しないと電話できなくなる)の残りも心細かったのでRobertと連絡がつかなくなるのではないかと不安で、そのときはほっとした。

そこでみんなのメルアドを聞いて、「絶対連絡するよ!」といっていた。これが大きなミスだった。自分は結構甘い考えで、こちらの連絡先をみんなに伝えるのを怠った。日本に帰ってから、ノートに連絡先を書いてくれた人のうち何人かが、アドレスが間違ってるか何かでどうしても連絡がつかなくなった。Facebookorkut(ブラジルでは割と勢力がある)でキャッチできた人はいたけど、Robertの行方はわからなくなった。Robertを知っていそうな人に尋ねてみても、連絡先を知らないかそもそも彼を知らないという感じだった。確かに存在感がないといえばなかった。

トロントに行けば、また彼に会えるかもしれない。けれど東京と違って気まぐれで行ける場所ではない。ずっと後悔している。もう会えないかもしれない。彼を検索することはできなかった。検索できないものは存在しないのと同じだというエクストリームな考えもあるけれど、Robertは世界のどこかに確かに存在する僕の友人だ。もしかしたら既に韓国に帰ってしまったかもしれないし、日本人の彼女と仲良くやっているかもしれない。

自分にとってここ数ヶ月の体験をみてもwebには何か人と人を引き寄せる"魔力"がある、というのは疑うべくもない。けれど、"インターネット神"はwebの最低限のポテンシャルでしかない。webでのコンタクトをrealizeすることは、このポテンシャルを知らない人にとっては"奇跡的"で"神秘的"な"信じられない"体験かもしれない。けれど本当は奇跡でも神秘でもなんでもなくて、高速道路に乗ったり新幹線に乗ったりする程度のごく日常的なアクションでしかないということに、多くの人が気づき始めている。京都から東京まで数時間で移動できるという事実は、江戸時代の人間にとっては間違いなく驚愕すべき"魔法"だろう。でも新幹線は神じゃない。

世界は着実に歩を進める。冒頭の技術者も、新しい時代へのシフトを生々しく経験した一人なのではないかと思う。けれど、この体験は単なる通過儀礼にすぎない。新しい人とつながる"奇跡"への挑戦、みたいなものは僕にもあったけれど、さすがにそれを克服すべき段階に来ている。でないと、単なる刺激過多で止まってしまう。webで会える人なら、リアルでも会える。それくらいの感覚は持っていた方がいい。

その領域での出会いをここで議論するつもりはなくて、僕はRobertとの再会、本当の意味で"人智を超えた"領域での"奇跡"を、未だ待ち望んでいる。メールやSNSといったweb的な手は、およそ打った。このpost-web領域に対して、webも、web使いとして世を渡って行くつもりである僕も、まだソリューションを出せていない。そこには、"神"がいるのかもしれない。