"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

夜の手紙

最近ブログを書くことの意味を考え直している。といったら大げさだけど、書こうとするときに前よりも少し躊躇してしまっているのは事実だ。
書くことはいっぱいたまってるんだけど、ちょっと書いてみてもなんかしっくりこない。

皆さんもお気づきだとは思うけれど、私のブログは結構気持ち悪いし某友人に言わせると『too hot』だそうだ。私はこのブログとは裸の付き合いをしている感覚があるっちゃある。夜中に、なんかうずうずしてきたー!これはアウトプットせにゃいけん!どげんかせにゃいけん!と思い立ち、推敲なんてぜんぜ?んしないでブログを書きつけている、という感じだろうか。普段は仮面をある程度被って人と会話をしているが、ブログには結構本質的に自分が拘っている事などを話題にしている。枕詞や建前なしに、すぐに本音で議論できる場が私にとってのブログ空間だ。

これを読んで思い出した。夜に書いた手紙は朝読み直せともいう。自分は別にブログに限っては、そんなことは必要ないと思う。炎上したらしてから考えればいい。disられさえしないよりはマシだ。でも、無責任なことを言いにくい立場になったという感覚はある。これは組織の呪いだ。意識しすぎなのかもしれない。

些事にとらわれず次のステップに行くためにさっさと片付けたい問題もある。これは気が重い。舵を切る思い切りが必要だ。ある人に相談したら、話は聞くけど、与えられた環境を一つ一つ克服する人間こそ、一緒に何かやりたいと思わせる人だよ、と言われた。唇をかみ締める。悔しいけど、時代を動かす求心力って、そういうことだ。

院試が近いのもある。でも今年の目標はできるだけ「忙しい」と口に出して言わないことだから、それを言い訳にするつもりはない。

じゃ何故しっくりこないのか?答えはたぶんこうだ。

何を書いても凡庸だ。

アルファな人々に囲まれて過ごしていると、己の陳腐さを自覚せずにはいられない。技術的にはアマチュアで、思想的には日和っている。いくら思想を伝えようとしても、まだ何も生み出していない自分の言葉には何の説得力もない。

己はまだ何者にもあらず。Perl Mongerでも、Effective Executiveでもない。

虚勢でしかないという無力感。何もアウトプットできていないという焦燥感。だからこそ、これを燃料にする。己が思想を実証するための手段として、自分は技術を選択する。エンジニアとしての鍛錬の中で、ブログを書く暇があったらもっと本やドキュメントを読み込んだり、ワークフローを体に染み込ませる段階にある。オフ会も勉強会も、行けばいいってもんじゃない。技術的にも思想的にも「とんがった」人間でなければ、会う値打ちがない。ある人はそれを「狂気」と称し、ある人はそれを「斜め上」と表現する。

せっせと別の言い訳をこしらえるとしたら、こんな感じだろうか。

でもなんだかんだいって、僕もid:iammgと同じようにブログが好きだ。時代の潮流を見極め、同志を探すためのツールとして、ブログが強力だということはよく知っている。こっちの世界では、何回も言わせんなというレベルの話だ。

ただの人間には興味ありません、とは言わない。でも「とんがった」人とつきあっていくのは、ずっと続けていきたい。

それでは夜の手紙のテンションで、いつも通りお送りします。