"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

空白と放浪

さて、僕自身はどうなのかとよく聞かれる。起業するYO!というポジティブな人は周りに割と多くて、いつも刺激を受けるのだけど、まだピンとこないというほうが大きい。

僕にはまだビジョンがない。実を言えばある程度練り固まってきているものはあるけれど、先述の友人ほどはっきりイメージできてはいない。日本で「え、お前就職しないの?」というのと同じノリでシリコンバレー界隈の大学生の上位層では「え、お前起業しないの?」という会話がザラらしいが、冷や水を浴びせるようなことを云うと、何も考えずに周りに合わせて就職するというのは一番嫌だけれど、消極的起業、起業のための起業もどうなのかと思う。いまどき就職しか頭にないのは頑固だが、就職は嫌だから起業というのもまた一つの固定観念に縛られているんじゃないか。会社という組織形態そのものは歴史において過渡的なもので本質的な価値があるとは思えない。

じゃあお前は何様なんだYO!っていうと答えに詰まるのだけど、臆さずいうとこんな感じだ。

今の日本人に不足しているものは何か。

それは放浪だ。

イギリスには、高校を卒業して大学に入る前に「何も強制されない時間」を作る習慣があるそうだ。このgap yearと呼ばれる期間に、ボランティアにせよ旅行にせよ自分の全ての行動を決めることを学ぶ。そうして何かをゆっくり見つめた上で大学に入ってくるイギリスの若者は、日本の若者と比べてはるかに大人びている、というのはイギリスに行こうと考えたときに聞いた話で、どこまで正しいのかは自信がないが、なかなか衝撃を受けた。

大人びていることが必ずしもいいことではないが、日本の社会でそういう選択肢がほとんどサポートされないのははっきりいってシステムの欠陥だ。日本人は浪人や留年などで経歴に空白ができることを極度に恐れるが、僕の知る限り、そんなことで実際に損をしたと思っている人は全然いない。そういう経験をした人は、後から見たらどうでもいいことで悩んでいたな、と口を揃える。空白を作ったら作ったで自分なりに割り切って処理している。空白のせいで死にましたなんて奴ぁいない。空白があったっていいじゃないか。それならそこに「放浪」が入っていたって、いいんじゃないか。空白が傷になってしまうような世界に、未来はない。

シベリア鉄道に乗るもよし、自転車で大陸横断するもよし。ピースボートに乗るもよし、草原の放浪民族にほんとにとけこんでしまうもよし。ギラギラの目で就職とか起業とか言う前に、みんなで一年くらい放浪してみようじゃないか。本当に自分自身をenpowerしてきた奴なら、それからでもなんとでもなるもんだよ。

と、我がままをいえるくらいの実力をつけてからまた考えたいですね。少なくともx年は必要でしょう。x年でやめる若者。石の上にもx年。x年経って忘れてそうな頃に声をかけてみてください。また気が変わってるかもね。