"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

旅人

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 2007年の夏に目指していたことを一言で言うと「限界突破」だった。トロントへの1ヶ月のホームステイ。ワーキングホリデーや長期ホームステイであれば半年や一年ほどかけてじっくりプランを練るのが普通らしいのだが、全てを思い立ったのは5月だった。一人で自宅を離れるのは初めてだったが、行く前から既に意気揚々だった。モントリオールとNYを歩くことはトロントで決めた。


 帰国してから友人とモスクワへ飛んだ。ロシア旅行は2006年にも企画を試みたが、実行は2007年になった。無謀がそこで唯一のミスを生ずる。夜のヤロスラーブリ駅に余裕をもって到着した僕らは、プラットフォーム番号を示す掲示板の誤認によってウラジオストクへ至るシベリア鉄道を目前に逃したのだった。乗せてくれ、と走りながら身振りで頼んだが、車掌はもちろん空しく首を降るだけで、やがて遠くなった。その夜の鉄道泊のバウチャー*1は存在意義を失った。


 周囲の駅員やネイティブの励ましも全く通じない顔面蒼白の僕に、いつになく落ち着いた友人がユースホステルを探そうと提案した。僕らは何かの役に立とうと調べておいたアホートヌィ=リャドのネットカフェに行った。店員の愛想のクソ悪さが鼻についたが、よき仲間とインターネットにこれほど感謝した日はない。


 その日モスクワ大学で知り合い食堂で昼食をご馳走してくれたメキシコ系の学生にメールを送ってみたが返事がなかった(より正確には、彼は電話番号を書いて「心配だ!かけろ!」と返してきたが、既に僕らはネットカフェを去った後だった)。なんとかたどり着けそうな宿をたたき出し、パスポートとビザでなんとかなるというかすかな希望を胸に終電間際のメトロに乗った。


 「Есть метро(メトロあり)」。確かNHKスペシャル映像の世紀』に、ロシアが博覧会か何かに向けてメトロのCMをする場面があった。モスクワのメトロは駅の一つ一つが個性を放つ荘厳な芸術になっている。そして、どういうシステムなのか駅と駅の間で漏れなく一瞬照明を落とす。


 つかの間の闇が不安を一層拡大させる。いかにもな入門旅行者にとって、政治腐敗や治安の評価も最悪なロシアの夜をさまようことの意味するところは大きかった。悪徳警官だけには出くわさないように祈りながら僕らは這々の体でユースホステルに滑り込み、受付嬢が英語を話せることに安心すると、シャワーを浴びて全てへの感謝を抱いて眠った。


 翌朝コスモスホテルに行って旅程を立て直し、結局一日遅れで本命のシベリア鉄道に乗った。元の旅程に復帰したいので、イルクーツクで降りてウラジオストクへ飛ぶことになった。


 今だから何でも言える。あのサバイバルの上に、今の僕の生と自信が立脚している。夜のモスクワをふらふら放浪したあのときでさえ、僕はその途方もなく新鮮な状況をある程度楽しんでいた。もしあの夜が一度も来なかったならと想像すると、あの夜が再び来るよりもぞっとする。


 何の変哲もない冒頭の写真は、イルクーツクで鉄道を降りる直前に撮った車窓の日没だ。あまり美しさの伝わらない写真で恐縮だが、心の中のあの日没は、よくわからないところまで来たんだなぁ、というあの不思議な気持ちを叩き起こす。写真が美しいというよりも、想い出が美しいのだ。こんなに美しい風景を見るだけでも、生きている甲斐があった。僕は生きている。そうそうやられはしない。この気持ちに出会うために、生きて、また旅をしよう。そう思わせてくれるのだ。


 以上、「週刊はてな 今週のお題私の好きな写真」でした。

*1:宿泊先と日程が記載された政府の発行票