"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

スタンフォードとローンレンジャー

1869年、アメリカのユタ州プロモントリーサミットで、大陸初の横断鉄道の完成式典が催される。
最後のレールを止める釘(ゴールデンスパイク)を打ち込む権利は、セントラルパシフィック鉄道側の創業者にして、その元手で後にスタンフォード大学を創立することにもなるリーランド・スタンフォードに与えられる。
スタンフォードの一振りは空振りに終わるが、"DONE"の電報が大陸を駆け巡り、サンフランシスコでは220門の祝砲が、遠くフィラデルフィアでは神聖な「自由の鐘」が鳴る。
鉄道のみならず、初の電報による中継を通じても全アメリカ国民が初めて一つになった、技術史上、メディア史上でも語り継がれるべき一幕である。


さて、奇遇にもまたディズニーだが、日本公開中の『ローンレンジャー』(アーミー・ハマージョニー・デップ)の舞台はそんな時代だ。
テキサスレンジャーがふんだんに見せる侠気や、超ポピュラー曲に載せた終盤の派手なアクションはロングセラー西部劇の現代風アレンジというイメージを裏切らない。
ニューヨークの牡蠣をサンフランシスコで、といった、当時ならではの庶民の夢も熱く語られる。


興行的には大成功というわけではなかったようだ。
重要人物が多くて話がやや複雑になっている、もしくは教育的な匂いが過ぎるのかもしれない。
しかしゴールデンスパイクのようなロマン溢れる題材を選びながら、一方的に喜ばしいものとして受け取らず、その裏の犠牲にあった先住民の立場を入れて物語を紡ぐバランス感覚を評価したい。


もっとも、アメリカ人と横断鉄道や先住民の話をしたことはないし、彼らがこのマニフェスト・デスティニーとその血染めの歴史というテーマについてどういう気持ちでいるのか、自分が語れるわけもない。
先住民トントに扮するデップ様は相変わらず絶好調だったが、「死ぬのにもってこいの日だ*1
と呟くくだりに至っては、先住民をネタにした諧謔なのか何なのかと首を傾げた。


日本人だって必ずしも渋沢栄一岩崎弥太郎のことをよく知っているわけではないように、カリフォルニア人ひいてはアメリカ人もそれほど興味をもっていないのかもしれない。
そしてそれは映画の人気に少なからず表れているかもしれない、などと想像する。


映画といえば、リーランド・スタンフォードにはもう一つ逸話がある。
スタンフォードは友人と、走る馬は四脚を地につけているのか、いやつけていないのかという議論になった。
「それでは撮ってみようではないか」という思いつきから、高速度撮影の技術の誕生に貢献したのだ。
馬は跳んでいると主張したスタンフォードは結局映像によって自分の正しさを証明したことになるが、この走る馬の映像のインパクトは彼の予想を越え、トーマス・エジソンにはキネトグラフのインスピレーションを、走る馬の絵で定評があったある画家には「見えているものと真実とはかくも違うのか」という絶望を与えた。


『ローンレンジャー』では「映画の父」はもちろん鉄道マンとしてさえ存在感を見せないが、我々をこうやって楽しませてくれる映画の誕生に立ち会った人物の少なくとも一人がスタンフォードであったのだ。


アメリカ型成功者の物語―ゴールドラッシュとシリコンバレー (新潮文庫)

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*1:英語ではなんと言ったか聞き漏らしてしまったが...