"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

夕暮れ時というのは疲れがたまっているはずの時間帯だが、体はそれに鈍感で、あれもやりたいこれもやりたいとモチベーションと集中力があがってくる。背景はいくつかありそうだがどれが決定的かはあまり明確ではない。

夜にアルコールを入れてリミッタを外すサイクルを体が覚えていて、もっといろいろできるはずだ、という意識が顕現してくるのかもしれない。会社員である場合は、日中はかなり規範的な生活をしているので、やや逸脱した思考の時間をとれるのはのはどうしても夜に限られる。

カフェや勉強会にいけば、同じように業務から解放された人たちが、人生に少しアクセントを加えたいという顔で時間を過ごしている。その中に混ざり、ある種の同調圧力を自分のためにうまく利用するのは、悪くない。

受験生の頃を考えても、躁的な活性状態に入るのは、学校の授業が終わって他の受験生との競争が始まる時間帯だった。こういった思春期のサイクルがそのまま大人になっても受け継がれているのかもしれない。

一日の終わりを意識するからかもしれない。月初や年初はだらだらしている人が月末や年末にその分忙しくなるのと同じだ。日中はどうしても時間に余裕があるという意識になり、脳のペースを上げるのに音楽かコーヒーか会話が必要になる。

単純に体質のせいもあるかもしれない。人間は本来朝型であるかどうか、というのは実験してはみても未だに確信がない。あるいは昼食がどうしても昼下がりの効率を下げるのかもしれない。