"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

このところ実験的に、日が暮れてから寝るまで照明を暗くして、ヨガの曲をかけてみている。といってもGoogle Homeに言うだけでいいので楽だ。それも意図的に始めたのではなく、Spotifyでザッピングしていたらたまたまヨガのリストを見つけて、かけてみたら意外によいので続けている。それぞれの曲に別に思い入れもないので、飽きるということもなさそうだ。水族館にいるような気分だ。そう思ったら家を水族館にしてもよい気がしてきた。

ヨガなんてやったこともないが、もとより多動・短気に振れがちな精神に、強制的に錨をつけて沈めるくらいの効果はある。しかし鬱な気分になるわけではない。ディープハウスのようなリズムはこの時間帯にはもういらない。もはや比較しようのない他人の嫉妬や虚栄に振り回されず、どうでもよいことはどうでもよいと切り捨てる態度や能力は、この先の人間の生き方においてますます重要になるだろう。

せっかくなので瞑想してみる。そうすると自分にも寛容になる。瞑想中はマインドポップしてきた概念たちを平坦な意識で上書きする。何か思いついたところでメモすることができないし、まず自分が何かを忘れたり無視することに寛容になる。同時に、時間を費やすことに寛容になる。生産性や便益といったものにとらわれず、時間をじっくりかけて何かをやってみるかということが許せるようになる。例えば料理とか。

その代わり昼はテクノかハウスをヘッドホンに流し込んでがんがんコードを書く。自動的なBPMが、キーボードを叩く思考のクロックを稼働する。人間の集中力の限界はせいぜい1日に3時間だろうから、そこで最も集中力を必要とする作業をする。その程度の時間で済ませる働き方も今や珍しくない。8時間労働というのは人間にとって特に本質的なものではないし、長い未来にはそういう労働観は消滅しているだろう。