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"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

言語と思考

言語が思考を規定する局面があるかといえばおそらくあるように思える。

個人差はあるのかもしれないが、自分の場合は、英語を話すときは「何でもやってやろう」という無軌道で開けっぴろげな気分になる。

東京に住む日本人としては専ら標準語を話すため、方言が出ないですねとよく言われる。

こっそり楽しんでいることの一つに、気づかれるまでは東京人に紛れておき、自分に一種の小さな秘密を纏わせることで話を広げるというつまらない趣味がある。 

だから方言が出ないと言われるとほくそ笑みながら出身を明かす。

あまり東京で聞いたことはないがこういうのを「いやらしい」という。

 

しかし、より根本的な理由があるのではないかと薄々感じている。

mother tongueとともに脳内にこびりついた閉塞的、保守的、差別的、因循的、感情的なものの見方を振り払って話したいのだ。

大人になって知り合った人たちの、理性と志に満ちた自由な精神のことばとして意識的、無意識的に標準語を選び取っている。

そういえば聞こえはよいが、単に流されやすいだけともいえる。

 

危機言語の保存に興味はあっても、自分自身の言語使用については無節操だ。

そう怒られてもしかたない。

気休め程度の言い訳をすれば、方言が嫌いなわけではないし、故郷の人に囲まれるときはちゃんと方言になるのだ。

やはり流されているだけか。