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"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

分裂

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社会がその構成員に求める美徳は集中、一貫、誠実、といったものであることが多い。

他方、我々は、限られた同じ時間を使ってあらゆる刺激に反応することが可能であり、自らの内に恐るべき分裂を経験することがある。分裂は現代人の宿痾であるとしてこれを認め、どう向き合うかを各人が考えることも必要であろう。

揮発性のランダムな刺激やマインドポップからくる閃きは夢にも似る。夢は記録しなければ霧消する。言語化もままならぬ覚醒時の思考をすくい取ってなんとか構造や物語を見出す方法論も枚挙に暇がない。

暴走する内省を永続化することは、古の賢人であってもときに難しかったらしい。

加えて、我々に与えられる情報のバラエティは非常なものであり、もとより分裂している。一日のうち特定の刺激のために寸断された時間はどんどん短くなる。

人、そして人を含めたシステムは集中の時期と分裂の時期を交互に揺り戻されるものだ。まとまった時間がとれることを前提とするだけでなく、数秒の動画のようにマイクロな刺激の連続を乗りこなし、スイッチングのオーバーヘッドを減らす鍛錬もまた、頑強な人生を送る術として必要とされている。

脳にマルチタスキングの過負荷をかけ続けるのは、頻繁に指摘される通り危険な試みではある。どれくらいの分裂したポートフォリオが自分にとって最適なのかを常にチューニングするための工学もおそらく発展途上であろう。

分裂が人を壊すのと同様、集中も確率的に人を壊す。我々は依存先を不自然に限定することでもまた、壊れたり立ち直れなくなったりする生物である。冒頭にも書いたように、唯一の選択肢への献身がある種の美徳であるからだ。身体の健康へ抱くほどの関心や警戒を、我々は精神の健康に対してまだ抱いていない。ふとしたきっかけで、あるいは遅かれ早かれ、我々は壊れる。ときに、誰ともまともに話せないほどに。

自分は間違いなく、精神が壊れかけているときに助けてくれる人に恵まれているほうだろう。後付けで振り返れば、落ち着いていたときの自分自身の振る舞いに救われているという側面も大いにある。セーフティネットのある社会設計そのものも重要であるが、集中による最悪のケースを認識して自分の周りに予防線をはりながらリスクに身を晒す生き方も、もう少し社会に位置を占めてよい。

壊れた人

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日本に帰って、壊れた人を見る。自分からそう遠くない範囲の人が壊れてしまっている、そして壊れた人とその周りに浮き彫りになった「壊れていない世界」との隔たりを意識することが増えた。これは社会の変化というよりは、ある程度人付き合いが増えれば構造的に起こるものであるように思う。

東京と地方とに限らず、均質で他人との距離がほぼゼロ、そして逃げ場なしの日本では、周りの目が気になりすぎて自分が規範から浮いていないのかどうか無意識のチェックを走らせてしまう。これがないひとは強く、そして魅力的ではある。幸甚なことにそうした人とのつながりも多い。が、そうでない人は、ときに壊れてしまう。無意味なストレスだ。

エレベーターや電車で大声で電話したり音漏れしている人に強い違和感を感じるのは、彼らが静寂を破るからでもあるが、それ以前にその他大勢の人が静寂を死守しているからでもある。パーティ会場までいかなくても、二、三人が大声で話しているような場所であれば、そういう気遣いは無用だ。

単純な話をすれば、日本で壊れるくらいであれば一度日本を捨てて、とくに日本と違う文化圏にいってみるべきだと思ってしまう。天気がよいだけでも救われる人は多いはずだ、というのもあるが、日本という環境に身をおき続けることの別の問題は、周りの人の話していることがなまじ理解できてしまう、という点である。周りがどんな細かいことを話しているのかよくわからなければ、(日本人として)それを気にすることもない。

もちろん日本を離れている自分の時間を絶対的に賛美するつもりはない。海外に行っても、日本的な壊れ方をするリスクを避けるぶん結果的に別のリスクをとらざるを得ない。主語を大きくして言えば、アメリカの医療コストは極めて高く、ヨーロッパはもはやテロの大陸、ワーホリで人気のニュージーランドでさえ近年までは自殺国家の影があった。もちろんサンフランシスコにだって空気を読まなければならないシチュエーションはある。それで日本に帰りたくなるならやむを得ないが、それでもそういう世界を一度経験して自分の内面を更新してみること自体に意味がある。

対策の機会なく壊れた人を見るたびに、自分もそうなる可能性はあった、それどころかこれからもないとは限らないという可能性が透けて見える。自分が壊れたときのことを考えるのは老後のことを考えるのに似ていてやはり気が滅入るが、参考になるのはジョン・ロールズかもしれない。彼は自分が社会においてどんな位置にいるのか知らない、つまり最終的に何が自分の利益になるのかわからないという前提(無知のヴェール)のもとに社会設計を考えれば社会は普遍的によくなるはずという思考実験をする。

もちろんこれが行動指針として充分なものかどうかという議論は別途必要だ。壊れた人にも活躍の余地があるような場所を作れればいいのだが、そこまではまだ遠い。これは新年の誓いでもなんでもないが、ただ、とくに日本という社会に焦点をあてるときに自分ができることが仮にあるなら、多様な社会へつながるようなことには自分の人生のいくらかを捧げてもよいと思えている。それがいささか孤独な道になろうとも。

人工生命と倫理

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anond.hatelabo.jp

川上氏と宮﨑氏を追ったNHKスペシャルの件、これが川上氏本人の見解かどうかはさておき、断片的に上がっている画像や動画をみて真っ先に思い出したのはOpenAI Gymを使った強化学習による人工生命のデモだ。

Train Your Reinforcement Learning Agents at the OpenAI Gym | Parallel Forall

www.youtube.com

最近見たデモは、実際にはこれよりもずっと生命っぽさのあるものだった。

 

そして、Open AIのデモを観たときに思い出したのはさらに前の、遺伝的アルゴリズムによる人工生命だ。 

www.youtube.com

 

要するに、研究者やエンジニアが生命の進化に思いを馳せてこういうデモを行うこと自体はこのように珍しいことではなく、今更感がある。ただそれが3D CGのフィールドに出てくることが増えて、視覚的なインパクトが強くなっているというに過ぎない。

 

エンジニアとアニメーターがそれぞれの考えで生命を模したものを作る活動の根源は同じで、生命の驚異に対する畏怖と呼べるものだろう。この番組の状況は知らないが、その畏怖が気持ち悪い・面白いという気楽な表現をとってしまう、また障害者との身近な付き合いから笑えない、といった相手の背景に踏み込んでしまうことで「不快にさせる」ような衝突はあり、さらにテレビ的な演出が加わって問題を薄っぺらく見せてしまうということもある。だからといって両者が相容れないということはないと思いたい。

 

しかし、同じものを感じているにもかかわらずミスコミュニケーションが発生しているように見えること自体は少し頭の隅においておきたい。

 

恐らく人類のマジョリティは、自分と見た目や行動が違う個体を異形として迫害したり、逆に神話化することで歴史の物語を成立させてきたという側面がある。異形への恐怖や忌避そのものは、デフォルメされて我々の文化に深く根付いている。仮に例えば、古の異民族や被差別民、障害者、貧民といった社会から追いやられてしまった人々の歴史が、鬼や怪物にカリカチュア化され、それを恐れたり清めたりする風習が現代も愛されているとして、これをpolitically incorrectだとして排撃することは難しいだろう。

 

では、未来はどうなのだろうか。この先数十年、人間に似たものがどんどん作られて、創造者と非創造者の見た目の違いが失われていくのを止めることはできないだろう。そのとき我々はどこから、不気味だと顔をしかめて笑えなくなるのだろうか。人工的な何かを異形だと感じる心理と、人類の少数を疎外してきた歴史的な背景、そして見た目の美しさによって相手を評価してしまう動物的な本能とのオーバーラップを、我々は間違いなく無視できなくなるだろう。そのとき、人類の倫理はこれに対して準備ができているのだろうか。

 

エンジニア立ち居振舞い:何やってるのか分かるようにする

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お題「エンジニア立ち居振舞い」

うまく整理できるかわからないが面白そうなので、思いつくままに書きなぐってこっそり差し込んでおく。 チーム構成によってメンバーへの接し方を変えるのがよいという当たり前の話になりそう。ときどきできてないこともある。

チーム構成が固くて分担できる場合

自分がマネージャーになる場合は、適宜タスク整理、チームのガイドライン整備、PRのレビュー、忙しそうなメンバーのサポートをする。 チームだからできることというのも多いので、うまくメンバーの能力にレバレッジをかけていく。

例えばドキュメンテーションの経験が長い人からはその話をちゃんと聞いて、現状とすり合わせてよさそうな方法を一緒に考える。 技術習得に熱心なメンバーがいる場合は、自分がやりたいのをこらえて「こういうのが主流みたいなんだけど着手できてないんだよねー」「このへん読むとなんかよさそうなんだよねー」みたいな感じでヒントを出しておくと自分よりもいい感じで調べて整理してくれたりすることがある。 自分にフロントエンド経験が全くなかったときは、より豊富なメンバーに完全にお任せしていた。

ただしいずれにしても、各メンバーの裁量でどうにもならないところは自分が引き受ける。 要件ヒアリング、外注先対応、他チームとの調整(ミーティングアサイン含む)、SlackやQiitaやConfluenceなどチームにあったコミュニケーションツールの選定、スクラム・リリースフローの調整、アクセス権限整理、リソースのコスト管理、メンバーの手に負えない技術調査、他社の事例調査などがこれにあたる。

メンバーの強化したい領域も推移していくし、のっぴきならない事情で自分が引き継がないといけない場合もあるので、分担は暫定と考えて、折を見て各メンバーから話は聞いておく。 他人がやってくれるからと上流に行き過ぎて手が動かなくなるとチームの価値発揮・自分のエンジニアキャリア双方危うくなることがあるので、それは避けるようにする。同様に、自分のやったこともちゃんとどこかに残す。再現性重要。あとチームの冗長化重要(とくに自分が休暇とって動けなかったりするとき)。

エンジニアメンバー(あるいはエンジニアの理解者)が少ない場合

チームに自分が入った時点でドキュメントがない場合はひとまず要件・業務フロー・全体の構成・シーケンスあたりをざっと書いて整理するところから始める。 その後は、何やってるか外から見てわからない感じにならないことが意外と重要かも。 「よく知らないけどこれくらいでできるんじゃないの」と言われたら、「あーまたわかってないな」と言いたくなるのを我慢して、後で潰すことも考えてとりあえず設計して実装して何かしらの目に見える進捗を見せる。 プロトタイプと割り切って、書いたコードにあまり思い入れないようにする。 少し落ち着いた時にコツコツリファクタしたりインフラの置き換えをやるというように、緩急つける。 もし可能であれば、スタックは自分が使いやすいもの、あるいは将来新しい人が入ってきてもググれば分かるくらいのよく使われるものにしておく。

その他

いつかのRebuild.fmで「自分が技術的にはやりがいがないと思う仕事ほど、逆に感謝されたりする」という話があったような気がする。 自分の興味と周りの要望のバランスはどうしてもとらざるを得ない。 とはいえ、こういう理由からエンジニアはふとしたきっかけで虚しくなったり孤独になりやすいような気がする。 ということで、自分が何をやってるのかわかるようにすることは、チームだけでなく自分のためにもなる。 一緒に盛り上がれるエンジニアが周りにいない場合は、他の環境のエンジニアとランチするだけでも結構救われたりする(隣の庭の芝生は青くみえることも時々あるけど)ので、そういうのを避けないで参加するとよいと思う。

他に何か思いついたら追記する。

新世界を迎えて

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ドナルド・トランプ共和党候補が、波乱の米大統領選を制した。選挙人の誓約違反がない限りはこれで決定ということだろう。民主党ヒラリー・クリントンの敗因については詳細は専門家に任せて、自分に理解できる範囲で整理するとこんなところだろうか。

  • トランプ支持者への度重なる人格攻撃が、投票権をもつ匿名の隠れトランプ派を大量に発生させた、あるいは、ヒラリーを嫌っていた層の背中をひと押しした
  • 有力メディア・リベラル・エリートのほぼ全てが、バイアスのかかった情報に基づき趨勢を読み誤った。ヒラリー陣営の遊説戦略も軽重を誤った
  • 加えて、民主制というには旧弊で複雑な選挙制度が、情勢にとどめを刺した

さて、ここはカリフォルニアだ。知人たちはヤケ酒し、カリフォルニア中の大学や路上で、後の祭りというべき抗議が行われている。投票直前でさえ大人気なく「選挙の結果を認めない」と言い張ったトランプの発言が、まさに今そのまま逆の構図で現実化している。こういった動きを共感しつつも少し醒めた目で見てしまうのは、彼らエリートはカリフォルニアが米国において特異な州であることも未だに理解していないし、あくまでカリフォルニアから出てアメリカを変えようとはしないということが改めてよくわかるからだ。スタンフォードは中西部にゆかりのある学生に向けて、中西部の経済向上に貢献することを条件としたフェローシップを発表しているが、これが数年前に真価を発揮していれば、とも思える。

しかし、上から目線で他人を叩くとロクなことがないことが痛いほど分かったのでこれくらいにしておいて、ここからは内省をもって煙に巻いていきたい。今年、民主主義は理知的な言説の限界を見た。そうだろうか。もしそうであってもやはり、引き続き頭の中のものを恐れず吐き出し続けることが意味を持つに違いない。

なるべく冷静を保ちながらカフェで夜のニュースに張り付いていた(最初はニュースを見ながら勉強するつもりだったが、プライベートなことで消耗しきっていたので諦めた)のだが、一夜明けた今朝は夢ではないかという気持ちでいっぱいだった。多様な社会にこれだけ敵を作ることを厭わない人間を、多様性社会と言われる米国民が総意として選んだという事実、それ以上に、彼の言動をよしとする人間が肩で風を切る世界になっていく予感に、自分もはっきり言って戦慄を禁じ得なかったのだ。

逆に言えば、自分が守りたいもの、脅かされることが許せないようなものが(薄々分かってはいたが)見えたということだ。

自分の身近な人の多くが守りたいのは家族であったり特定の伝統文化であったりするのかもしれないが、自分の力点はそこではない。

いつからか、特定の価値観や人生観が周囲に蔓延してくるとそこから脱出したいと思うようになり、自分にはホームと思えるコミュニティがそう多くないのだが、この一見滑稽な人たちが凝集した土地には、脱出したいと思える要素がない。命の危険を除いては。いくら斜に構えてみても、自分もやはりスマートでリベラルな人が多いカリフォルニアを愛する一人で、その真逆の社会に自分が腰を据えるイメージはもてない、同じ穴のムジナなのだ。

リベラルや多様性そのものが究極の目的となり相対化できなくなったとき、正しいかどうかを超越して、それが一つの信仰であるということと、自分がその信者であることを、認めざるを得ない。そのことを自分の不安な心拍が告げたのが、今朝のことであった。

真理とは、それなしにはある種の生物が生存できないような一種の誤謬である (ニーチェ)

努力と逃走

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大企業での過労死の悲劇をきっかけとして、働くことや生きることについて多くが語られている。「頑張る」「逃げる」といった態度の解釈が問われるのも、自然なことだ。悼む者としては、義憤を並べることもできるだろう。亡くなった人といま危機にある人に向けて、もし自分にしかかけられない言葉があるとすれば、今までのそれほど長くない人生で自分の身に起こったことを、特に努力ではなく逃走についていくらか語ることかもしれない。

幸いにも自分は命を絶つほど思いつめることはなかったし、これからもないと信じたいが、状況を克服した人間のバイアスほど危ういものもない。語ることで誰かを救えるのかは、分からない。むしろ誰かの気分を害するのかもしれない。だが、これは言霊の常として引き受けよう。せめて、(思春期以降の複数の経験であるということを除いて)なるべく具体的な状況を特定しないようにしたい。

これは本当に餞になるだろうか。どちらかといえば、語らないでいることを自分が自分に許さないというエゴに近い。こういう人間が一人いて、いつかはそのうち死んでいくという話に過ぎない。人生に再現性はない。再現性はないが、いや再現性がないから、書き残すことに意味があると思う。骨太な意見も理論的な背景も持ち合わせないが、経験を語るのにイデオロギーは不要だ。

もし読み手を想定する必要があれば、「努力」のガス室で死んだ目をしていた過去の自分に向けて書こう。あなたの前の扉は、そんなに頑張らなくても開くこともあるのだと。

挫折

自分にも、何らかの目標の達成に向けて心骨を削り徹夜で「頑張った」経験はある。自分が初めに経験した状況は、まだ楽観的なほうだ。一緒にプロジェクトを楽しむ仲間もいる。直前まで問題に向かう姿勢を見せ続けるということそのものが神聖視される。何となれば未達成の目標を前に「根性を見せないで帰る」人に白い目を向ける側に回ったこともなくはない。

怪我がないほうがおかしいほどの自発的なハードワークの成果は、残念ながら僅かだった。原因としては、プロジェクト管理が実質存在しなかったことや、結果より過程を重視していたこと、などいろいろある。

少しばかりの虚脱感のあと、自分の中で一番変わったことがあった。それは、語弊を恐れずに言えば、「頑張る」のをやめたことだ。闇雲に頑張る代わりに、人間やその集団についてよく考えるようになった。頑張るよりも、やることがある。人間は消耗し、置かれた状況を把握できなくなる。自らが消耗して初めて、少し人間的になったのかもしれない。

危機

その後の人生が順風満帆であればよかったが、このような、努力の過程を楽しめるような状況ばかりではない。思い出すだけで心拍が上がったり、なぜそんなことで神経をすり減らしてしまったのかと怒りがこみ上げてくるような記憶もある。

度重なる失敗やコミュニケーションミス、望まぬプレッシャー、衰える自信、震える声。「これができないのか。なぜお前はできないのか」の連発。「これはいつかきっと克服できる」という希望と、「これは明日も繰り返される」という絶望。

周りの人が憐れんでいるのがわかるが、同時に自分を蔑んでいるのかもしれないと訝る。話を聞いてくれる人は口を揃えて「あなたは悪くない」というが、耳に入らない。「なぜ自分はできないのだろう」という自問が続き、「常に問題の原因は自分であり、自分さえ変われば何とかなる」という内なる声が聞こえる。

やがて、玄関で靴を履いて、その場で数分間足が固まるようになる。ベッドに横たわって空気を吸っているだけで肺や血管が詰まるのではないかという感覚に襲われる。「現実」に殺される。

脱出

こういった不安を生むのは、独り歩きした心理学や自己啓発の断片かもしれないし、経験の少なさから来る視界の閉塞かもしれない。精神の置き場は変えられるが、肝腎の精神そのものはただ一つしかない。一度ある危険な精神状態にはまってしまったら、自分一人ではどうしようもなくなる。

自分の場合は、カウンセラーや医者と話す機会を得て、一度のみならず苦境を脱出した。とくにカウンセリングは大変有効だったのだが、日本にはこういったことを公にすることを避ける風土があるように思える。自分も例に漏れず、プロフェッショナルの「もっと自分を大事に」という真摯な提案を、初め受け入れられなかった。逃げたと後ろ指をさされるのが許せないのだ。

努力と逃走

逃げるという言葉には常にネガティブな印象がつきまとう。果たして、自分の場合は敗北感はしばらく続いたものの、逃げることによって、衰弱した精神は結果的に回復した。あのまま逃げていなかったらどうなっていたのだろうか。

自分の経験したことは努力と呼べるだろうか、という問いも可能だが、「これだけやらないと努力とは呼べない」という形の議論に持ち込むのは野暮だ。健康を害するまで苦労している人を貶めるつもりはないが、努力を美化し世界を動かす力と、逃走を糾弾し人を死に至らしめる力は地続きだ。思考なく行われる努力というのは、努力と名付けられた怠慢である。

逃げたというのは揺るぎない事実のように思えるかもしれないが、ものの見方であるともいえる。やるべきことを数えるよりもやったことを数えるほうがいいというのと同様、一時的に逃げることで、回り回って別の何かを追っていることもある。努力か逃走かといったうわべに気を取られて、より大切な思考から逃げているということはないか。

そういった価値転倒は、少しは許されないのだろうか。

2015年に経験したこと

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今年の振り返り。

脳科学の勉強会をやった

全脳アーキテクチャ方面の若手の方々から刺激を受け、自分たちでも開催してみようかと模索した。 とりあえず開催してみただけになってしまって、進め方はもっと考えたほうがよかった。

機械学習に関わった

ミートアップのスタッフをやらせてもらった。

いまはgensimなどを片っ端から触ってみている。分析もできますと堂々といえるように早くなりたい。

YAPC::Asiaに参加した

Perlといえば、Perl6リリースおめでとうございます。メリークリスマス!

RubyKaigiに参加した

Railsのコードも書くようになったのでキャッチアップということで行ってみた。懐かしい方々やお会いしてみたかった方々にも会えた。 個人的には以下の2つのセッションが楽しめた。

RaspberryPiを触った

SORACOMとか新しいものにも引き続き馴染んでいきたい。

Python,Node.js,Rails,Golangを書いた

あまり怖がらずに淡々といろいろ触るようにしたい。

フロントエンドの勉強をした

今まで避けてきたフロントエンドもいろいろ自分で手を動かさざるを得なくなった。 今はES6,React,Reduxの使い勝手を確かめてみたい。

大学の公募を受けようとした

知り合いの先生が求人していらっしゃったので見学をさせていただいた。

院試を受けようとした

とくにリサーチプロブレムが見当たらないまま、情報系の研究室を見学させていただいた。

退職した

4年半同じ会社に勤めた。

求職した

というわけで、ニートになった。 ハローワークにも行ってみた。失職後すぐにいろいろな知人から仕事紹介をいただいており、エンジニア冥利に尽きる。

退去した

2011年に入った賃貸を退去した。その前は実家だったので、退去は初めてだ。

倉庫を借りた

家に置けないものの保管のために一時的に倉庫を借りた。キュラーズが便利。

タイに行き損ねた

場所の制約がなくなったので東南アジアでのんびり開発でもするかと便をとっていたが、退去作業が大変すぎて飛行機を逃してしまった。キャンセルでいくらかは戻ってきて助かった。

ギークハウスに泊まった

一度泊まってみたかったギークハウスに泊まった。作業もできるし住人や外国人との交流もあるし、快適だった。東京にいながら、昔のユースホステル旅行を思い出した。

私書箱を借りた

私書箱を予約して、モノが届くとメールがSlackに転送されるようにしてみた。 自分の私書箱を見に行くことはできず、通知が来たらWebで確認して明らかに不要なものはそのまま溶解処分、内容だけわかればいいものはスキャンメール依頼(有料)、重要なものは保管してもらって適当な場所に転送(有料)、と小回りはきくが地味に小銭を払っている憎いサービスだ。 Webサイトを見ないで内容を確認するAPIなどがあればSlack上で見られたりしてよいのだが、惜しい。

Craigslistで家具を売った

持ち物を減らすためにCraigslistに出してみることにした。 相変わらずこのUIでやっているのかと言わざるをえないレベルのサービスなのだが、実際に使ってみて家具が売れた。 買い手はあまりつかなかったが、そのうち2人はインド人だった。値切られるのかなと思いきやそれほどでもなく、良心的な人びとだった。

ブックオフで本を売った

雑誌含めて500冊ほど売って200冊で20000円という値のつき方で、残りは処分されただろうと思うと悔いが残る。 本当はブックスキャンに郵送したい本も大量にあったが手元からなくなるのに時間がかかるし、Amazon買取に入力するのも割にあわなさそうだった。今回は仕方ないが、次にもし本を売ることがあれば相手の顔が分かる範囲で売るか、もう少しこまめに売りたい。ブックオフブクログを買収したということで、そのへんうまく使えるようになるかもしれない。

Androidユーザーになった

2008年頃からソフトバンクiPhoneだったが、退会してAndroidIIJmioのSIMをさしている。機種が古いので少し難儀しているが、致命的ではない。

言語学の講義を受けた

東京言語研究所の講座を受けてみた。言語学の講義を受けるのは大学以来で楽しめた。仕事の合間にレポート(大したものではないが)を書くという経験もできた。

中国語検定に受かった

4級に一度落ちて、二度目で受かった。英語以外の試験に久々に挑戦した。

自炊が一週間続いた

作りおきに挑戦してみて意外にいけるじゃん、となったが一週間で折れてしまった。また挑戦してみることにする。

糖質制限で減量した

周りで減量に成功している人の大半が糖質制限なので、やってみた。

とりあえずWithingsを買い、ご飯を1/3だけ食べて残し、糖質ゼロ麺とチーズとアーモンドと唐揚げと焼き肉を食べまくったくらいで、運動はほぼ何もしていない。

4ヶ月で3,4kgほど減らし、そのあとわずかにリバウンド。

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この本はタイトルは釣りっぽいけど参考になった。とくに糖質と人類の歴史はダイエットする上ではどうでもよいが読み物としては面白い。

馬に乗った

五月祭で馬に乗れるイベントがあったので行ってみた。

アーチェリーした

文京区体育館で手頃な講座があったので行ってみた。続けると精神集中できてよさそうなんだけど、残念ながら視力が悪くて的がよく見えず辛かった。

ウィンドサーフィンした

お台場で初体験。 盆地生まれだからか海に行くだけでテンションが上がる。 ただし筋肉痛になった。

サーフィンした

カリフォルニアのパシフィカで初めて体験した。波の高さもだが、波が自分を通過するのを眺める体験が新鮮だった。 インターステラーに出てくる惑星を連想する。

この数年で、興味のあったダイビング・スタンドアップパドル・ウィンドサーフィン・サーフィンを全部体験できて、今年こっそり立てていた目標の一部は達成した。

海について考えた

農業や宇宙に比べて海はまだまだ開拓されてない感がある。とりあえず手元にOpenROVの旧型があるので組み立てるところから始めたい。

何かやりたいことがあるかというとまだはっきりしていないが、時間をとって整理することができたら書きたい。

スプラトゥーンをやった

だいたいゲームは上達する前に飽きてやめるんだけど、スプラトゥーンも例外ではなかった。とはいえやってる間は結構楽しかった。去年の今頃はDESTINYやってたけどハマり具合は同じ感じかな。

感想

徒然と書いていると、何か重要なことを忘れているのではという漠然とした不安がある。 こういうまとめの自動化はどんどん進んでいくはずだ。 今年やりたかった機械学習周りではようやく一歩を踏み出せたような気がする。 2016年の目標はそのうち決めると思うが、とにかく色々なデータをとって行動へのフィードバックをするというようなことを引き続き少しずつ進めてみたい。 その点においてレコーディングダイエットは実に説得力のある体験だった。

それにしても2015年は個人的に色々あって、この前の2014年は何があったか思い出せなくなるレベルだった。

旅人は生きている。いまのところは。 ー『火星の人』

けもの道へ踏み出した(踏み外した?)ことで途方に暮れた日々も結構あったが、いろんな人にいろんなことを相談させていただいていて本当にありがたい。 これからも冷や冷やする局面がありそうだが、柔軟に切り抜けながら誰かにちょっとずつ恩返しできるように生きていきたい。

来年もよろしくお願いします。

火星の人

火星の人