"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

近況

なかなか日本語を書けておらず深く考える時間もとれていないのだが、何やってるの?と聞かれることも多いので最近の脳内のスナップショットをとっておく。

多くの人間が特定の組織に対して決まりきった形でコミットするという労働像は、緩やかに崩壊しつつあるという感覚がある。 個人や緩やかなチームの活動が社会において占める比重は無視できなくなり、予想もできない協働の形が実現していくだろう。
転機 - Schreibe mit Blut

昔こういう記事を書いてサラリーマンをやめたのだが、巡り巡って今そういう働き方を検証している感じになっているので、無意識というのは侮れない。

まず仕事としては何をしているかというとフリーランスで複数社のWeb開発を手伝っている。メインはRails,PythonでときどきReact+Redux,Vue+Vuexをやる。あくまで背伸びというよりはできること、できそうなことをやっている。特にスタートアップだとやることの多さの割に体制が不安定だったりでタスク配分がスムーズでないことも多いので、待ち時間をムダにしないようにしたら主体的に入っていけるようになるとよりよいと思う。

ブロックチェーン周りはバブルの様相も確かにあるとは思うが、可能性を感じている。手を動かす時間を少しずつとり始めたが、次々に出てくるプロダクトにまだまだ理解が追いついていない。引き続き手を動かしたり詳しい人に会って理解を深めていきたい。

機械学習は目前の優先度が下がっていて情報収集できていない。できたほうがいいのはわかっているが、まあいいかなという諦めも多少ある。

拠点は一応東京になっている。夏にベルリンを中心にドイツ近隣を回ってだいぶ印象がよかったのでまた行きたい(いくなら昼の長い夏がよいと思う)。ブロックチェーン周りの関心からエストニアも行きたい。先日勢いで行った深センもよかった。いずれ動きにくくなる時期は来るので、動けるときに動ける体を維持したい。


1人の能力をリソースを会社が(それがレガシー企業だろうがベンチャーだろうが)独占している状態はもっと面白くできると思っている。同じような働き方をしている人ともっと現状共有したり組織化できればいいのだが実際できておらず物足りなさはある。シェアハウスやコワーキングスペース、イベントはその手軽なチャネルだと思う。

どうやら企業側も同じ考えのようで、「フルタイムじゃないと困る」という依頼は昔より減ったような実感がある。これを後押しするサイボウズの副業推進とかサンカクとかは面白い取り組みだと思う。

よく言われるように割り込みに対する作業開始のオーバーヘッドは思っているより大きい。これに処するには

  1. 割り込みを減らす
  2. 割り込みあたりのオーバーヘッドを減らす
  3. オーバーヘッドを許容する

の3つある。
どうしてもハッカーは1に偏りがちで、集中して何かに取り組むのは重要だが、少々効率化によりすぎで、結果的に雇用関係の硬直化を招くような気がする。
2はまだプロセス・テクノロジーの改善の余地があり、3もオーバーヘッドを上回る機会をつかめればいいだけだ。
色々な現象をリンクさせる必要がある時代に視野が狭まるのを避けたければ、
割り込みや撹乱や忘却がある前提で一日の時間利用を設計し、1と2と3のアウフヘーベンを目指していくのがよいのではないか。

相変わらずクラブミュージックが好きなので、聞く以外の楽しみ方を探している。そういう意味でもベルリンの文化に触れたことやドイツと日本の音楽との距離感の違いなどはよい刺激になっている。あと旅先で写真をとる時間を楽しむようになったし、昔旅行に行ってた割には写真撮らなかったのもったいないと思う。ものを作るということと表現するということを区別し自分はエンジニアだから〜しない、とか自分はエンジニアではないから〜できない、と自己規定することにどんどん意味がなくなっているような気がする。

そろそろ次世代のことを考える時間が増えてきたからかもしれないが、昔よりサステナビリティへの興味は上がった。宗教上の理由でからウナギやマグロを積極的に食べなくなった。マイクロプラスチック問題のフィールドワークに少し関わったりも始めた。

サステナビリティの関係でfuture of foodも興味があるのだが、何を信頼していいのかわからないので今のところは静観。フードや健康に関しては日本にもドイツにもアメリカにも様々なカルトがあることがわかってきた。このカルト性というのが危険だったりどうやら逆に重要だったりするのだが。これまで模範的な食事とされてきたものもただの惰性である可能性もある。少なくとも確かなのは栄養学に関して知識がなさすぎることくらい。自分はほとんど味の違いが分からず、味覚記憶も弱く、そもそも何かを食べて不味いからこれをもっと美味くしようというモチベーションが低い。今あるものを少し変えて美味しくすることもいいが、食の多様性を増やしていくことのほうが面白いし、もっといえば何を食べるかより誰と食べるか、何に思いを馳せて食べるかの方が重要だと思う。

フリーランスになる前の懸念は「できる仕事があるのか」ということだったが、今は健康だったらまあなんとかなるなということで「何かの拍子に仕事できなくなっても生活を支えられるのか」ということに変わりつつある。といってもフリーランスが会社員よりリスクが高いかというともちろんpros-consあると思う。とにかく頭を使い続けないといけないが、体力は必然的に落ちていくだろう。ということで走ったりしていて、10kmはなんとか飽きずに走れるようになった。

とはいえ、体だけが健康であればいいやという考えだけで済む時代は終わった。自己肯定感という考えに自分自身あまり注意を払わずに生きてきたが、人間の幸せを構成する最大の要素ではないかというのが最近腑に落ちるようになってきた。とくにこれから育つ世代の自己肯定感を大きく損なうようなことはしたくない。

働き方だけでなく住み方や家族形態の多様性についても何らかの形でコミットしたい。時々シェアハウスやAirbnbに住んだりしているのはそれを失わないようにするためでもある。人間には最終的には落ち着く所が必要だという人もあるが今のところ懐疑的で、それは人生の最低限必要な時期だけでいい(自分は精神的な拠り所は5箇所ほどあるしもっと増やしてもいい)。どういう部屋に住むかよりはどういう人とどういう時間を交換できるかのほうが遥かに重要だ。悔いなく死ぬために。

みたいなことが脳内でゆるやかにつながっている。