"血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。"

近況:暗号通貨

暗号通貨に関していろいろ観察するうちに、「これから来てほしい未来にベットする(賭ける)」ということについて改めて考える。これまで「予測不能な未来へアクセスする」チャネルは例えば出版であり、起業であり、より敷居の低い手段として投票、投資信託クラウドファンディングなどがあったわけだが、今ここにICOという選択肢が見えている。ただICOを含む暗号通貨の動きが他と違うのは、「世界観にベットする」というアクションに加えて、中心化された法定通貨への依存からの脱却という問題が根深く横たわる点だ。

暗号通貨の仕組みは単一ではないので、それぞれの世界観に応じて経済圏が急速に形成され(法定通貨の尺度でいえば時価総額ということになる)、しかし互いの連動は避けられずにいる。日本円資産を形成することがいったん日本国と運命を一つにすることを意味するように、自分のポートフォリオを作るということは自分の生きるべき経済圏を探し、それを主体的に選ぶということを意味している。それが暗号通貨であれば、自分の「世界観」の色彩を表現するという意味合いがさらに強くなる。

FXの延長で暗号通貨に加わるうちは相場が上がってつい喜んでしまうが、あくまで「法定通貨ベースで利益をいかに出すか」という評価軸の軛から逃れていないわけだ。確かにアドレナリンは出るだろうが「世界観」とは無縁の行動にとどまる。例えばスイスフランが体現する世界観とかいうものはあまり説得力がない。「新興国マーケット」への投資は相変わらず可能だろうが、国家ベースのそういったセグメンテーションはいつまでも有効なものだろうか。

暗号通貨の価値が上がるということは法定通貨の信用が相対的に下がっているということで、それに気づいている人から徐々に自分が生きるべき経済圏に重心を移している、あるいは法定通貨以外の評価軸形成し、あるいは評価の空間を転倒しつつある。デイトレーダーのことはさておけば、暗号通貨やブロックチェーンが人々を魅了するのは、これが単なる技術革新にとどまらず、ベーシックインカムとしての収益にもとどまらず、我々は次に法定通貨という共同幻想暴力装置?)を果たしてディスラプトできるのか、一人の有限の人間として時間を悔いなく使えるのか、選択や主体性とは何か、ポートフォリオや税や経済の諸概念は今後意味をもつか、というあらゆるポエムに容易に接続してしまうことだ。

未来のことはわかるはずがないが、これが今起こっていることをありうる未来からみるとこういうことかなというざっくりとした理解。

近況

なかなか日本語を書けておらず深く考える時間もとれていないのだが、何やってるの?と聞かれることも多いので最近の脳内のスナップショットをとっておく。

多くの人間が特定の組織に対して決まりきった形でコミットするという労働像は、緩やかに崩壊しつつあるという感覚がある。 個人や緩やかなチームの活動が社会において占める比重は無視できなくなり、予想もできない協働の形が実現していくだろう。
転機 - Schreibe mit Blut

昔こういう記事を書いてサラリーマンをやめたのだが、巡り巡って今そういう働き方を検証している感じになっているので、無意識というのは侮れない。

まず仕事としては何をしているかというとフリーランスで複数社のWeb開発を手伝っている。メインはRails,PythonでときどきReact+Redux,Vue+Vuexをやる。あくまで背伸びというよりはできること、できそうなことをやっている。特にスタートアップだとやることの多さの割に体制が不安定だったりでタスク配分がスムーズでないことも多いので、待ち時間をムダにしないようにしたら主体的に入っていけるようになるとよりよいと思う。

ブロックチェーン周りはバブルの様相も確かにあるとは思うが、可能性を感じている。手を動かす時間を少しずつとり始めたが、次々に出てくるプロダクトにまだまだ理解が追いついていない。引き続き手を動かしたり詳しい人に会って理解を深めていきたい。

機械学習は目前の優先度が下がっていて情報収集できていない。できたほうがいいのはわかっているが、まあいいかなという諦めも多少ある。

拠点は一応東京になっている。夏にベルリンを中心にドイツ近隣を回ってだいぶ印象がよかったのでまた行きたい(いくなら昼の長い夏がよいと思う)。ブロックチェーン周りの関心からエストニアも行きたい。先日勢いで行った深センもよかった。いずれ動きにくくなる時期は来るので、動けるときに動ける体を維持したい。


1人の能力をリソースを会社が(それがレガシー企業だろうがベンチャーだろうが)独占している状態はもっと面白くできると思っている。同じような働き方をしている人ともっと現状共有したり組織化できればいいのだが実際できておらず物足りなさはある。シェアハウスやコワーキングスペース、イベントはその手軽なチャネルだと思う。

どうやら企業側も同じ考えのようで、「フルタイムじゃないと困る」という依頼は昔より減ったような実感がある。これを後押しするサイボウズの副業推進とかサンカクとかは面白い取り組みだと思う。

よく言われるように割り込みに対する作業開始のオーバーヘッドは思っているより大きい。これに処するには

  1. 割り込みを減らす
  2. 割り込みあたりのオーバーヘッドを減らす
  3. オーバーヘッドを許容する

の3つある。
どうしてもハッカーは1に偏りがちで、集中して何かに取り組むのは重要だが、少々効率化によりすぎで、結果的に雇用関係の硬直化を招くような気がする。
2はまだプロセス・テクノロジーの改善の余地があり、3もオーバーヘッドを上回る機会をつかめればいいだけだ。
色々な現象をリンクさせる必要がある時代に視野が狭まるのを避けたければ、
割り込みや撹乱や忘却がある前提で一日の時間利用を設計し、1と2と3のアウフヘーベンを目指していくのがよいのではないか。

相変わらずクラブミュージックが好きなので、聞く以外の楽しみ方を探している。そういう意味でもベルリンの文化に触れたことやドイツと日本の音楽との距離感の違いなどはよい刺激になっている。あと旅先で写真をとる時間を楽しむようになったし、昔旅行に行ってた割には写真撮らなかったのもったいないと思う。ものを作るということと表現するということを区別し自分はエンジニアだから〜しない、とか自分はエンジニアではないから〜できない、と自己規定することにどんどん意味がなくなっているような気がする。

そろそろ次世代のことを考える時間が増えてきたからかもしれないが、昔よりサステナビリティへの興味は上がった。宗教上の理由でからウナギやマグロを積極的に食べなくなった。マイクロプラスチック問題のフィールドワークに少し関わったりも始めた。

サステナビリティの関係でfuture of foodも興味があるのだが、何を信頼していいのかわからないので今のところは静観。フードや健康に関しては日本にもドイツにもアメリカにも様々なカルトがあることがわかってきた。このカルト性というのが危険だったりどうやら逆に重要だったりするのだが。これまで模範的な食事とされてきたものもただの惰性である可能性もある。少なくとも確かなのは栄養学に関して知識がなさすぎることくらい。自分はほとんど味の違いが分からず、味覚記憶も弱く、そもそも何かを食べて不味いからこれをもっと美味くしようというモチベーションが低い。今あるものを少し変えて美味しくすることもいいが、食の多様性を増やしていくことのほうが面白いし、もっといえば何を食べるかより誰と食べるか、何に思いを馳せて食べるかの方が重要だと思う。

フリーランスになる前の懸念は「できる仕事があるのか」ということだったが、今は健康だったらまあなんとかなるなということで「何かの拍子に仕事できなくなっても生活を支えられるのか」ということに変わりつつある。といってもフリーランスが会社員よりリスクが高いかというともちろんpros-consあると思う。とにかく頭を使い続けないといけないが、体力は必然的に落ちていくだろう。ということで走ったりしていて、10kmはなんとか飽きずに走れるようになった。

とはいえ、体だけが健康であればいいやという考えだけで済む時代は終わった。自己肯定感という考えに自分自身あまり注意を払わずに生きてきたが、人間の幸せを構成する最大の要素ではないかというのが最近腑に落ちるようになってきた。とくにこれから育つ世代の自己肯定感を大きく損なうようなことはしたくない。

働き方だけでなく住み方や家族形態の多様性についても何らかの形でコミットしたい。時々シェアハウスやAirbnbに住んだりしているのはそれを失わないようにするためでもある。人間には最終的には落ち着く所が必要だという人もあるが今のところ懐疑的で、それは人生の最低限必要な時期だけでいい(自分は精神的な拠り所は5箇所ほどあるしもっと増やしてもいい)。どういう部屋に住むかよりはどういう人とどういう時間を交換できるかのほうが遥かに重要だ。悔いなく死ぬために。

みたいなことが脳内でゆるやかにつながっている。

深セン(深圳)第一感

東京のギークハウスコミュニティで、Maker Faire Shenzhenに行く機運が高まっていた。深センは行ったことはなく、確かに深センMaker Faireは面白そうなので行ってみた。

会場は大学のキャンパスで、デジタルハリウッド大学で開催されていた2009年頃のMake: Tokyo Meetingを何となく思い出す。

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当初の目的のMaker Faireもまあ面白かったのだが、寧ろそれに合わせて大量のハードウェア好きが集まって騒ぎ、企業訪問などのイベントが目白押しとなる数日間だった。ほとんどの時間は日本人と行動したが、現地や海外からのMaker達との交流ももちろんある。マレーシアから来たという学生は、マレーシアではメーカームーブメントはまだ始まったばかりなので深センをモデルにしたいという。屋台街で飲んでいる日本人集団にはSexyCyborg氏がいつの間にか乱入してきていた。

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情報を集めている中で、ニコ技深圳観察会の存在を知り、ほぼ企画に乗っからせていただいた。

ドローンが飛び謎の端末やQRコードが氾濫する深センのリアルな風景だけでなく、負けじと深セン・東京・シンガポールのようなアジア各地を飛び回るエンジニアの一群に圧倒されて懐かしむのは、2009年春に初めてシリコンバレーに行った頃のことだ。当時はJTPAという団体がサンノゼでカンファレンスを主催し、それに合わせてやはり100人規模の日本人が集まるという祭りが毎年あった。その頃には参加者も結構慣れてきており、主催のJTPAというより参加者が個別のツアーを勝手に組んであちこち動き回る流れが既に大きくなっていた。

このスタイルのよい点は、祭り感もあるが、人によって参加している体験が少しずつ違うので、コミュニティ全体としては多様な見方での現地感が得られることではないかと思う。今のところはかなり属人的である(高須さん、茂田さん、伊藤さんたちをはじめとする水先案内人の方々に連日お世話になった)深センツアーというシーンも、現地慣れした人がどんどん増えてシリコンバレーなみに馴染みのエリアになることで発展的解消していくようなこともあるかもしれない。

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訪問したところ

Maker Faireの公式ツアーの申し込みは間に合わなかったのだが、JENESIS(日本人創業の受注生産会社)、x.factory(コワーキングスペース)、HAX(カナダ発のアクセラレータ)などのOpen Day、観察会の拠点があるSeg Maker+でのミニカンファレンスに参加できた。

それが終わってからの、少人数で工場やハードウェアスタートアップを訪問した一日はさらに怒涛だった。この日は朝からタクシーをかなり苦戦しながら捕まえて(ライドシェアのDidiも使えたがタクシーの方が早かった)、基盤製造を受注している工場のラインを見学した。

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次に訪問したUFACTORY社のロボットアームuArmは、手動で教えた動作を記憶して反復することができる。

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このロボットアームはモジュールの交換によりレーザーカッティングや3Dプリンティングなど多くの機能をもたせることができ、またユーザーが自由に楽しみ方を発掘するカルチャーが醸成されているようだ。丁寧で若い創業者たちも根はギークで、自分たち自身が面白いから会社を立ち上げたと話すのが印象深い。

最後に訪れた水中ドローンGladiusのChasing Innovation社はみんな工場に出払っていて多忙にもかかわらず、来客とわかると一行を熱心に応対してくれた。

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やがてリテールやサンプル提供に関するコミュニケーションがその場で始まり、訪問側の商魂も負けないという白熱を感じた。

現地に行く前に

深センシンガポールや東京のメーカームーブメントにおいて何が起こっているのか、また各キーパーソンのストーリーを情報量として一気に知るために読んだ本は、まず高須さんの本だ。

さらに、訪問させていただいたJENESIS社の藤岡さんは、15年以上の深センでのビジネス経験が詰まった恐るべき濃度の書籍を先日出版された。

これらを読みながら興味が出てきたら、深センもしくは香港への航空券を抑えるとよい。

参加者間のコミュニケーションは実質WeChat一択となるので日本にいるうちに慣れておくとよい。VPNやShadowsocksを用意していけばSlackやFacebookにつながる*1のは確かだが、現地でバタバタしながら都度それらが動いているかどうかを確認するのは意外に大変で、実際いつどこで遮断されても文句が言えなさそうだ。WeChatだとほぼ常につながるし、いざはぐれたときにチャット内で自分の場所をストリーミングで共有できる機能がありこれはもっと早く知っておきたかった。

WeChatPayは日本でも徐々に決済で使えるようになっているが、現地ではお世話になりっぱなしだ。使ったことがない場合は誰かに少額送金してもらってアクティベートしてから現地に渡るのが基本となっている。サービスそのものは体感したほうが早いので割愛するが、注文、請求、送金から広告配信まで日常の決済行動がほぼなんでもWeChatの中に収まっている。それ以外の機能で面白いのは、例えばお金をランダムにWeChatグループ内でばらまくRedPacket(紅包)で、飲み代を集めて余ったお金をリターンするときなどに使える。こういうサービスを日常的に使っているとお金に対する距離感も変わってきそうだ。

WeChatPayと同じくらい便利さを実感したのがシェアサイクルだ。地下鉄がどんどん通っているとはいえ、訪問先が駅から1km以上離れているということは珍しくない。東京のシェアサイクルと違うのはだいたい街のどこにでも止めてあって、駐輪場を探すというよりはそのへんの自転車(Mobikeの場合はオレンジ)を探す。自転車を見つけたらQRコードをスキャンしてさっと解錠して乗る。施錠するとスマホに利用料の通知が来る。

多少不慣れを感じるとすれば、自転車の質にだいぶばらつきがある。また、工事が頻繁に行われており路面が常に舗装されているとは限らないので要注意だ。観光を楽しくというよりはあくまで移動の補助として割り切って使う感じだ。黄色いofoの使い方は確認できなかったのだが、mobikeは早めにアカウントを作って駆使すれば圧倒的なフットワークが手に入る。

ところでmobikeのような現地サービスのアカウントを作るにはSMSを受信できるSIMがあるほうが何かと都合がよい。日本で準備する、香港で準備する、深センで調達する(自分が該当)の大きく三通りがあるようだが、日本語情報がたくさん出ているのでこれも割愛。

通常の滞在ではいらないが、銀行口座を作るとなるとまた大変で平均的にみんな苦労している。これは別途書く(書いた)。同様にひとまずの訪問では英語や身振り手振りでなんとかなるが、中国語ができると楽しいのは異国訪問の常だし、やはり現地人の信用も得やすいという。自分は過去にとった中検4級の知識を掘り起こしながら楽しんでいた。

次はどうするか

帰国から1週間以上経ってしまったが、きれいにまとめるのは諦め、個別の出来事や実際の訪問で役に立ちそうなことも改めて書こうと考えている。今回のインプットをまだ個人的に処理しきれていないというのもあるが、さらに深センに関しては数ヶ月前の情報が役に立つかは現地に行ってみないとわからず、処理しきれないと言っている場合ではないようなスピード感がある。いつまで鮮度があるかわからない情報をクイックに出すというのが重要になるはずだ(とくにそれが仕事になる人の場合)。

見るべきものが一度で全て見られたわけではなく、次の訪問で知りたいこともある。H8マイコンArduinoRaspberry Piを使ってロボットやセンサーシステムを昔開発していたのだが、ずっとハードウェア界隈をウォッチしていたわけではなく、新しいハードウェアのコンテキストを改めて吸収していきたいという気持ちになる。ウェブやブロックチェーンのテクノロジーはよく見えなかった(ICOはbanされているし、ウェブはそもそも検閲されている)。最近はミュージックテックに興味があり、訪問先でも大体クラブシーンを観察しているのだがその時間もなかった。またゆっくり話す機会がなかった人もいる。

いろんな人に「深センどうだった?」ときかれるが、次に行くときはそういう人たちと行ければ楽しい。自分一人だと「なんかすごい」という感想しか出ないので限度があり、一緒に行く人それぞれに、自分なりの課題と情報整理をしてもらうほうが絶対によい。自分の周りで行ったほうがいいんじゃないかという人はこんなイメージだ。

  • 既にハードウェア開発にかかわっており日本の製造スタイルとの違いを知りたい人
  • 小ロットのハードウェア開発で躓いている人
  • ビジネスアイデアがありハードウェア開発で解決できる可能性がある人
  • 決済業界の人
  • 技術関連の投資やファイナンスに関わっている人。そういえばこれを書いている間にこのニュースがあった。https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-11-21/OZRZVD6TTDS101
  • 新しい時代の知財について思索している人
  • 今世紀の技術、都市、社会がどう変わっていくのかを定点観測したい人
  • 無難にWebエンジニアをやっているがややマンネリ化しており、新たな技術的刺激を欲している人

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深センは東京から6時間,4万円ほどあればいけるので当然シリコンバレーよりも行きやすい。週末の空き時間を見つけては年に何度も訪れる日本人がいるのは頷けるどころか、それくらいしなければこの流動する都市についていけないという切迫感もある。さらにいろんな国を見ればわかるように外国人・移民政策は時代の子で、ゲートはいつまでも空いているとは限らない。深センに行くだけなら明日にでもどうぞというところだが、効率的にいろいろな人と知り合えるという意味では次のニコ技観察会のタイミングにあわせていくのがベストではないかと思う。

ここまでお互いに煽り合って興味が出てくると、やはり深センに移住すべきだろうかという問いが浮かぶ。実際、深センに魅力を感じた人の多くが半分以上軸足を深センに移すことを考えるのではないかと思う。しかし一方、深セン以外にもまだエストニアのような興味深いテックセンターがあり、仮に深センに関わるとしても人によって様々な関わり方があるだろう。自分は特定の一拠点に全賭けするライフスタイルに今それほど惹かれていないので、これまで訪れたトロント、サンフランシスコ、ベルリン、深センのようなドットを自分なりに徐々に繋いでいくだけでも今のところ面白いのではないかと思っている。どうやっていくかはノーアイデアだ。

オフライン

現代においてWiFiのある作業空間というのはあまりにありふれ、WebエンジニアとしてはWiFiが欠乏した環境で作業をすることは想定することすら難しい。自分がやっている作業のうち、WiFiがない時間の開発は実際には何が困るのか、障壁を軽減するにはどうすればよいかという思考実験をしてみる。

コミュニケーション

Slack, Facebook, メール, LINE,Skypeなど。

同期コミュニケーションの場合

連絡先がわかるのであれば電話する。

非同期コミュニケーションの場合

お互いに待ちが多いのが問題の場合は、待ち時間が少なくなるように資料やテスト、実装の叩き台をなるべく早く共有しておく(Work-In-Progress)。コミュニケーションがとれない時間が長くても齟齬が少なくなるように要件定義の精度を上げる。

タスク管理

オフラインでも使えるタスクリストをつくる(Asanaのモバイルアプリなど)。

メモの保存、書き物

Evernoteを使う。自分の場合はメモにSlackも使うのだが、SlackのMacアプリはオフラインだと機能しないのでモバイルでやる必要がある。ただしオンラインになったときに再送信する必要がある。Kobitoは画像はオフラインで保存できないが、他の場所にあるのであれば実質困ることはあまりないと思う。

過去の資料・メモの閲覧

Evernoteの場合、事前にダウンロードしておく。

作業時間の記録

Togglはオフラインでも一応動く。最悪カレンダーアプリに記録してあとでTogglに移す。

地図の閲覧

慣れていない場所の場合は事前によく調べておく。もしくは紙の地図を入手する(実際にアメリカで運転していてよく知らない場所に迷い込んだとき、ホテルのフロントで地図をもらってなんとか脱出したことがある)。

速報・ニュースの閲覧

リアルタイムで情報を受ける必要性を減らす。ニュースへの依存度を減らす。ニュースの取捨選択をする。

プログラミング

これが滞ると本業が成立しない。

クラウドでの動作に依存している場合

Dockerなどでローカル開発環境を整える。

クラウドへの接続に依存している場合

利用するAPIの挙動をもとに、stubやfixtureを用意する。挙動が明確なAPIを使う。

ドキュメント閲覧が必要な場合

ドキュメントをダウンロードしておく。ライブラリ内のテストを読む。

グーグル検索

こればかりはどうしようもない。検索せずに悶々と過ごす。

音楽ストリーム

音楽を聞くのは集中のためなので、ホワイトノイズと耳栓などで代用する。集中効果の高い音源はダウンロードしておく。

WiFiがないと落ち着かない

慣れと集中の問題。日頃から積極的にWiFiを切断する仕組みを作る。ポモドーロで集中を切断するサイクルを作る(日本のカフェのWiFiは30分/60分程度で切れることが多いので、それに慣れる意味もある)。オフラインになったときにやることのリストをつくる。

時代逆行的なアイデアばかりになったが、常にWiFiに接続しているという状況はある種の甘えを生む。上のような極論的な選択肢を考えておくことで安定して作業できる体になるようにしたい。

分裂

社会がその構成員に求める美徳は集中、一貫、誠実、といったものであることが多い。

他方、我々は、限られた同じ時間を使ってあらゆる刺激に反応することが可能であり、自らの内に恐るべき分裂を経験することがある。分裂は現代人の宿痾であるとしてこれを認め、どう向き合うかを各人が考えることも必要であろう。

揮発性のランダムな刺激やマインドポップからくる閃きは夢にも似る。夢は記録しなければ霧消する。言語化もままならぬ覚醒時の思考をすくい取ってなんとか構造や物語を見出す方法論も枚挙に暇がない。

暴走する内省を永続化することは、古の賢人であってもときに難しかったらしい。

加えて、我々に与えられる情報のバラエティは非常なものであり、もとより分裂している。一日のうち特定の刺激のために寸断された時間はどんどん短くなる。

人、そして人を含めたシステムは集中の時期と分裂の時期を交互に揺り戻されるものだ。まとまった時間がとれることを前提とするだけでなく、数秒の動画のようにマイクロな刺激の連続を乗りこなし、スイッチングのオーバーヘッドを減らす鍛錬もまた、頑強な人生を送る術として必要とされている。

脳にマルチタスキングの過負荷をかけ続けるのは、頻繁に指摘される通り危険な試みではある。どれくらいの分裂したポートフォリオが自分にとって最適なのかを常にチューニングするための工学もおそらく発展途上であろう。

分裂が人を壊すのと同様、集中も確率的に人を壊す。我々は依存先を不自然に限定することでもまた、壊れたり立ち直れなくなったりする生物である。冒頭にも書いたように、唯一の選択肢への献身がある種の美徳であるからだ。身体の健康へ抱くほどの関心や警戒を、我々は精神の健康に対してまだ抱いていない。ふとしたきっかけで、あるいは遅かれ早かれ、我々は壊れる。ときに、誰ともまともに話せないほどに。

自分は間違いなく、精神が壊れかけているときに助けてくれる人に恵まれているほうだろう。後付けで振り返れば、落ち着いていたときの自分自身の振る舞いに救われているという側面も大いにある。セーフティネットのある社会設計そのものも重要であるが、集中による最悪のケースを認識して自分の周りに予防線をはりながらリスクに身を晒す生き方も、もう少し社会に位置を占めてよい。

壊れた人

日本に帰って、壊れた人を見る。自分からそう遠くない範囲の人が壊れてしまっている、そして壊れた人とその周りに浮き彫りになった「壊れていない世界」との隔たりを意識することが増えた。これは社会の変化というよりは、ある程度人付き合いが増えれば構造的に起こるものであるように思う。

東京と地方とに限らず、均質で他人との距離がほぼゼロ、そして逃げ場なしの日本では、周りの目が気になりすぎて自分が規範から浮いていないのかどうか無意識のチェックを走らせてしまう。これがないひとは強く、そして魅力的ではある。幸甚なことにそうした人とのつながりも多い。が、そうでない人は、ときに壊れてしまう。無意味なストレスだ。

エレベーターや電車で大声で電話したり音漏れしている人に強い違和感を感じるのは、彼らが静寂を破るからでもあるが、それ以前にその他大勢の人が静寂を死守しているからでもある。パーティ会場までいかなくても、二、三人が大声で話しているような場所であれば、そういう気遣いは無用だ。

単純な話をすれば、日本で壊れるくらいであれば一度日本を捨てて、とくに日本と違う文化圏にいってみるべきだと思ってしまう。天気がよいだけでも救われる人は多いはずだ、というのもあるが、日本という環境に身をおき続けることの別の問題は、周りの人の話していることがなまじ理解できてしまう、という点である。周りがどんな細かいことを話しているのかよくわからなければ、(日本人として)それを気にすることもない。

もちろん日本を離れている自分の時間を絶対的に賛美するつもりはない。海外に行っても、日本的な壊れ方をするリスクを避けるぶん結果的に別のリスクをとらざるを得ない。主語を大きくして言えば、アメリカの医療コストは極めて高く、ヨーロッパはもはやテロの大陸、ワーホリで人気のニュージーランドでさえ近年までは自殺国家の影があった。もちろんサンフランシスコにだって空気を読まなければならないシチュエーションはある。それで日本に帰りたくなるならやむを得ないが、それでもそういう世界を一度経験して自分の内面を更新してみること自体に意味がある。

対策の機会なく壊れた人を見るたびに、自分もそうなる可能性はあった、それどころかこれからもないとは限らないという可能性が透けて見える。自分が壊れたときのことを考えるのは老後のことを考えるのに似ていてやはり気が滅入るが、参考になるのはジョン・ロールズかもしれない。彼は自分が社会においてどんな位置にいるのか知らない、つまり最終的に何が自分の利益になるのかわからないという前提(無知のヴェール)のもとに社会設計を考えれば社会は普遍的によくなるはずという思考実験をする。

もちろんこれが行動指針として充分なものかどうかという議論は別途必要だ。壊れた人にも活躍の余地があるような場所を作れればいいのだが、そこまではまだ遠い。これは新年の誓いでもなんでもないが、ただ、とくに日本という社会に焦点をあてるときに自分ができることが仮にあるなら、多様な社会へつながるようなことには自分の人生のいくらかを捧げてもよいと思えている。それがいささか孤独な道になろうとも。

カルヴェ『社会言語学』など

我々は日頃、正しい日本語あるいは正しい英語という頭の中の言語規範からなるべく外れないように社会生活を送る。一方、多くの言語学者の立場によれば、言語というのは本来いろいろな要因により(通時的共時的に)変化をみせるものである。言語を変化させる社会的な要因や変数の存在を仮定し、さまざまな社会学的検証を試みるのが社会言語学である。

社会言語学の系譜

社会言語学 (文庫クセジュ)

社会言語学 (文庫クセジュ)

本書は1993年にクセジュから出た社会言語学の入門書である。類書と違う印象を受けるとすれば、自然と研究例もフランコフォニー(フランス語圏)が多い点である。

例えば歴代フランス指導者の演説における、リエゾンにおけるアンシェヌマンの推移などは(フランス語に頻繁に接しない日本人が親しみを持つのは難しいとしても)データとしては面白い。

フランコフォニーにおける言語問題といえばケベックやベルギーのケースを無視することではできないはずで、カルヴェには言語戦争や言語政策についてのより詳細な著作もあるが、ここでは本書から社会言語学の歴史的萌芽を簡単に追ってみる。

本書においては必然の結論となるが、言語学は言語の研究というよりも、言語共同体の研究となる。

強調しておかねばならないのは、「被支配的言語」という表現は、(「支配的言語」という表現と同様に)一つのメタファーだということである。支配されている(あるいは支配している)のは、言語ではなく、人びとなのである。

社会言語学言語学の一部であるのではなく、言語学そのものであるということになる。著者カルヴェは冒頭で、社会言語学こそが言語学であるというこの立場の系譜をアントワーヌ・メイエに求める。我々は近代言語学の祖としてフェルディナン・ド・ソシュールを知るが、メイエはソシュールの門弟であると同時にソシュールに対峙し、社会学的現象としての言語を強調する。メイエの労苦はあったものの、ソシュール以降の言語学は大筋として、言語の内部構造を主要な立脚点とした。たとえば生成文法の先駆であるチョムスキーは、脳機能の内的なシステムとして言語の分析を行った。

社会主義圏の言語学

ヨーロッパである意味無視されていた言語の社会的側面の研究は、はじめマルクス主義と熱烈に結合し、ニコライ・マルの新言語理論がソビエトロシアの庇護下で公式化される。その要旨は「言語には段階的進化があり、それは階級闘争や社会の進歩と対応する」といういかにもなものであり、

それを批判する者たちは、シベリアの言語状況を分析しに行かなければならない危険性が多分にあった

という(フィールド調査の重要性に鑑みてもなお)アネクドート的状況であった。批評家ミハイル・バフチンは「ソシュールは言語記号がイデオロギーの場であることを理解しなかった」とまで断じる。

しかし、この後にソビエトの強権を握ったグルジア生まれのヨシフ・スターリンは、言語の階級性を否定した。言語学的な意義はともかく、おそらく彼の生涯では最も穏当な部類に入る政策であろう。ソビエト育ちの新言語理論は、1950年頃、ソビエト自身によってあっけなく葬り去られ、今度はその場を中国へ移して、普通話の標準化などの政策へ接続していく。

社会言語学そのものの可能性が、没政治的ではありえないというメタなストーリーがここには読み取れる。

米国における展開

科学史に名高いメイシー会議はニューヨークで開かれ、1946年から1953年までの10回にわたり、サイバネティクスという新しい科学の端緒を切る。ソビエトや中国では袋小路に入った社会言語学も同様に、英語圏で新たな時代へと入っていく。

英国のバジル・バーンステインは連帯に関するデュルケームの類型に着想を得て社会階級と子供の言語コードの関係の分析を試みる。ウィリアム・ブライトは1964年にロサンゼルスのUCLAに25人の社会言語学者を招集する。その成果は社会言語学の対象の体系化、報告書の刊行として結実したが、社会言語学はまだ言語学あるいは社会学をサポートする従属的な領野であるという位置づけに変更はなかった。これに対し、社会言語学こそが言語学であるという方向づけを主張したのはこの学会にも参加したウィリアム・ラボフである。

先述のメイエは時代の比較言語学者らしく、あくまで古典語にフォーカスした。ラボフは世紀のメトロポリスであるニューヨークを拠点に生の英語を観察し、1960年頃の研究ではマサチューセッツの離島民の英語と、次いでなされたニューヨークのデパート職員の英語の調査が有名である。前者においては二重母音の発音と、住民が失業率の高い島にとどまるか大陸へ渡るかという意志の間の相関、後者においては母音の後のrの発音と、職場のデパートが大衆向きか高級デパートかの間の相関を突き止めた。ラボフの一連の研究は、構造主義言語学の呪縛を離れてパロール(実際の発話)を重視する音声学的側面、それを話者から引き出す実験手法、社会的分布との関係性を見る検証の方向性の面で一つの金字塔となった。

バイリンガリズム

さて、本書から20年以上を経ている現在、社会と言語がどのように相互に影響しているのかといういくつかの風景をメモしておく。

カリフォルニアでは2016年大統領選と並行していくつかの法案が可決した。そのなかのProposition 58は1998年に導入されたバイリンガル教育の制限(Proposition 227)を廃止するものである。

移民の多いカリフォルニアで多様性を育むことを目指す言語教育が推進されることは一見自然ではあるが、それでも20年前に優勢であったのは、英語以外の言語を話せる教員による教育機会を極めて限定する同和的な言語政策であった。その根拠は、英語単一での学習に絞ったほうが、学習が効率化されるというものであった。接触する言語の選択肢が多様であることの学術的な重要性だけでは、言語やアイデンティティを選択することで経済的・戦略的に人生を設計していくのは最終的には話者本人であるという実存的な地平を完全に被覆することは難しい。

本書の段階では、ベルファスト北アイルランド)の中国語コミュニティに関する研究(レズリー・ミルロイ,1980)によれば、イギリス生まれの中国系移民は、親の中国語を解しても自らはなるべく英語で話そうとしており、これは移民第一世代が中国語で話そうとするのと対照されている。ラボフの離島民の研究をみても、あるいは簡単な内省をもってしても、本人のおかれた、もしくは望む社会的状況によって使役する言語が変わるというのはありふれた自然現象である。

この数十年のアカデミックな進展や社会状況の変化を加味するのであれば、親の生まれという単純な社会的カテゴリに限らず、多層的な社会的ネットワークによる言語分布への影響、および個人の思考傾向と言語の関係に関する論争や知見も無視できないであろうことが予測される。

ジェンダーと代名詞

英語圏ではhe(男性)/she(女性)という代名詞の区別が伝統的であるが、従来の性別にこだわらない人称代名詞としてxezeといった新しい代名詞を導入してはどうかという議論がある。

カリフォルニアでも、イベントで使う自己紹介用のラベルに、名前と共に「自分がどういう代名詞を使ってほしいか」を記入するようすすめられることがある。ここでの選択肢は恐らくまだhe/sheに限定されるであろうが、そのどちらを使うのか外見から明らかであるという決めつけをせめて回避しようという試行錯誤の例である。上のような言語的状況は、性別に関する固定観念をいったん保留しようという社会運動のムードと呼応している。

ちなみにトルコ語の三人称人称代名詞ジェンダーの区別なくOである。これが英語話者を(ときに受け入れがたいレベルで)戸惑わせるのを見るが、2つ、もしくは中性をいれて3つのジェンダーが区別されなければならないという要請が必然ではないのは言うまでもない。

多文化言語と発音

英国のヨーク大学およびHSBCの社会言語学者ドミニク・ワットらは2016年9月に、50年後のイギリス英語の姿に関する予測を行った。英語圏におけるロンドン英語の影響力を前提とした、今世紀半ばの興味深い英語像が描かれるのであるが、例えば発音に関する部分は以下のようになる。

ロンドン訛りとしてのコックニーに取って代わった多文化ロンドン英語(カリブ・西アフリカ・アジア移民の影響下にある英語)では、例えば英語に極めて特徴的なth音は消滅しdis(this)となる。英語話者以外には馴染みがないth音の学習に苦しむのは日本語話者に限らず、たとえばスペイン語話者も時々この発音をする。しかし変化はこれにとどまらず、たとえばfink(think), muvver(mother)のような音も増えるかもしれないと聞けば、驚かずにいられない。

英語のrやlもほとんど存在感のない音になる可能性がある。英国南部においてwとrは既にかなり似ており、同様にtreesとcheeseの区別もほぼなくなる可能性があるという。このケースも、例えば広東語話者のtreeなどを聞くと頷ける。

もっとも、『マイ・フェア・レディ』原作者ジョージ・バーナード・ショウの名高いミーム"ghoti"よろしく、不可解な綴りは残るかもしれない。英語において、これは常である。