情報収集再考
知的生産のうち、情報収集の側面について雑考。
瞑想を含む最近の脳科学は、意識的な処理を何もしていないようにみえる時間が脳にとって重要であると教える。
つまり、ぼうっとしたり何も考えない、休んでいる時間があるからといって脳の能力を最大限に使役していないとは言えないということになる。
しかし、これは思考についてのことであり、情報収集についてはまた別の話であると思う。
以前伝聞したこの話には、今なお真理がある。
情報収集は人間が本質的にエネルギーを注ぐべき営みではないと同時に、人間の思考と独立に常に動いている必要がある。
情報収集は一種のロジスティクス、デリバリーであり、それが効率的に動いていない時間というのは(輻輳やバッファを除けば)無駄な時間である。
脳の活用を最大化するために、バックグラウンドの情報収集システムの稼働を休める必要はない。
重要なのは、脳が休んでいる思考の隙間にも、必要十分な情報が脳の手前に届いており、料理できるような状態をつくることだ。
これを行うシステムがどのようなことができる必要があるかを考えてみる。
- 良質な情報源をもつ
- 悪質な情報を排除する。英米では混乱する政況を受けてニュースプラットフォームがfact checkの自動化に注力, 辞書がpost-truthをフィーチャーし、奇しくも日本では権利・信憑性に問題のあるWebサイトの自浄が始まった
- 情報のソースをたどる
- 日本語以外の情報を収集する。恐らく英語は日本語よりコンピューターフレンドリーである
- 書籍や論文でクロスチェックする
- ソーシャルネットワーク・人脈を活用してオンサイト・プライベートな情報チャネルを構築する。フットワークで情報を稼ぐということでもある
- ただし、ソーシャルな情報の機能はどちらかといえば差別化であり、無批判に信頼できるわけではない
- 悪質な情報を排除する。英米では混乱する政況を受けてニュースプラットフォームがfact checkの自動化に注力, 辞書がpost-truthをフィーチャーし、奇しくも日本では権利・信憑性に問題のあるWebサイトの自浄が始まった
- 情報が過去・未来の知識体系の中のどこにmapされるのかを洞察する
- 既知の知識体系は何らかの形で構造化されているか
- その情報はどう新しく、どう既知の情報とオーバーラップするのか
- どういったキーワードが出現しているのか(これについては計算論的に扱いやすい)
- 情報の出現に歴史的なパターンはあるのか
- その情報は、未来予測にどういう変化をもたらすのか
- どういう可能性(仮説)がありえるのか
- 逆にどういう情報が足りていないのか
- その情報は、価値観にどういう変化をもたらすのか
- 人類が何に価値を見出すようになっているのか
- 脳や市場やメディアはその情報にどう反応しているのか(メタ認知)
- その反応は必要十分なものなのか
- その情報の価値が最大化されるタイミングはいつで、環境はどこなのか
なんとなくこの2つに大きくまとめられるように思う。