チャットの同期性
基本的にはチャットで同期性を要求することで相手の待ち時間を消費するのは非効率なので元記事に同感、そのうえでブコメを改めて読む。
相手が取込中ステータスにしないままみんなで画面覗いたりプレゼンする人だと一言目のポップアップで事故る可能性があるので、センシティブな話題では意図的に「お疲れ様です」と送って牽制してから本文を送ってる。
自分もいきなり要件が来ると気まずいタイミングはある。なんか工夫が必要。
- ポップアップするかどうかを送信者がコントロールできるようにする
- メッセージがあるということだけこっそり伝わる
- メールの未読通知に似てるけど、メールのオーバーヘッドはない
- 在席したり離席したり場所を変えたりという非言語コミュニケーションが、画面越しでないときと同じレベルで相互に行えるようにする
- 受信者の周りの物理空間の状況を送信者が把握できる(当然、コントロールはできない)
- 送信者に把握されていることを受信者が認識できてかつストレスにならないようなプライバシーへの配慮
プログラマならチャットで「お疲れ様です」ときたら通知に表示せず自動で「お疲れ様です」と返す仕組み作って早く楽になろう
面白い。導入のコストさえかからなければ。
バックグラウンドアプリを晒す
iPhoneのバックグラウンドアプリは、持ち主のライフスタイルをある程度反映しそうだ。バックグラウンドアプリには、少なくとも週に1回は起動するような、枯れ切ったアプリは残るが、ちょっと流行っている、面白いと思った、くらいのアプリはすぐに消え去るからだ。
ということで晒してみる。結論からいえば、標準以外で目新しいものはあまり使っていない。
インプット
アウトプット
コミュニケーション
趣味
- Shazam:気になる音楽を調べるだけ。購入はしなくなった。
- ブクログ:読了した本のみ登録。読んでいる本や読みたい本はブログのほうに書くようになった。
タスク・予定管理
- Nozbe:タスク管理。コンテキスト管理とプロジェクト管理が分かれているので、少し面倒だけど見通しがよい。
- Calendar:標準のものが会社のカレンダー、Googleカレンダー、Facebookカレンダーを全て連携できるので、他のものに変える理由がない。
その他ツールや標準アプリ
- Safari
- Camera: Instagramなどのカメラアプリを使うこともあったが常に投稿するわけでもないのと、かわりにブログに写真を上げることが増えたので標準カメラでよくなった。
- Clock
- Google Maps:ルート検索のほか、気にいったお店や気になる場所をstarしている。
- Settings:何かと使う。
引っ越し(を諦めた)
実家を離れてから4年近く同じ部屋に住んでいることになりややマンネリ化しているので引っ越しを検討した。
Open Network LabやGeek Office Ebisuなどで恵比寿に好印象を持っていて、 代官山や広尾も好きなので、中目黒あたりまで含めて探してみる。 渋谷近くだと会社から家賃補助が出るが、それを加味してもあまり手頃で条件を満たす物件が見当たらない。
部屋の広さをとって立地の優先度を下げると三軒茶屋。ここはここで好きだし住みやすそうなのだが・・・。 あとは駒沢大学、行ったことがなく正直あまり馴染みがない。
結局、本郷から離れることへの抵抗は、東大やLabCafeの環境から受ける刺激が大きいのだと苦笑。 周りに遊ぶところが少ないので奢侈も防げる。 文京区の生活費は交通の便の割にはリーズナブルだ。 部屋が狭いのは、整理整頓して収納を工夫すればまだなんとかなるだろう。 ・・・などと無理やり納得。
Microservices
- 今進めているシステム(enterprise...)の分割もこういうのに近い。もうちょっと早めにいろいろ知っておきたかった。
- microservicesに分割する際に注意するべき5つのこと - Qiita
- クックパッドとマイクロサービス - クックパッド開発者ブログ
- Rebuild: 55: Legacy Monolithic Macroservices (Naoya Ito)
- 「古き良きSOAからenterprise臭を取り去った新しい語彙」(miyagawaさん)で吹く。
- RESTの決定的な普及、ドメイン駆動開発などの理論武装が整ったことにより再吟味の段階にある。
- 既に経験し始めている部分もあるしこれから予見できるところもある。
内面の清算
シリアで戦闘行為を行っていた過激派日本人の鵜澤氏の話を聞きに行った。まあ、これだけ書くとぎょっとするかもしれない。三文会という毎週行われるイベントのスピーカーが、鵜澤氏だったので参加してみたのだ。
10/15【イスラム原理主義組織で戦った26歳のシリア内戦体験談】 • 三文会
イスラムについて勉強していた頃だ。
興味をもった理由は講演の内容以外にもあった。鵜澤氏が以前関わっていた「アーバンマルシェ」という会社をみて、はっとしたからだ。
~全ては「美味しい」から~アーバンマルシェ公式ブログ 最後のご挨拶。
たまたま数日前に後楽園駅の近くを歩いているときに、車で野菜を売っているのを見て、気になっていたのだ。
結論としてイスラムの現実は彼の話からは全く分からなかったが、ここは僕のためのブログなので、メモ程度に残しておく。
会場が東大正門前のカフェ『モンテベルデ』であることから想像できる通り、聴衆のリテラシーは平均的な日本人より高いと思われるのであまり心配はしていなかった。普段からパレスチナ問題に関心が高かったり実際にイスラムの研究に勤しんでいる人たちも多かった。寧ろ、このようなやや物騒なテーマでも会場提供を拒否しないモンテベルデの包容力に敬意を表したい。
さて、彼の話に価値に少なくとも希少価値は認められるだろう。普遍的倫理的な価値はともかく。たとえ一面的であったとしても、現地の生活や、アサド政権への現地感情、戦場で死に瀕したときの開放感など、ひょっとしたら一生聞けないかもしれない体験談は確かにあった。
また彼の第一印象でいえば、応対態度は紳士的であり、笑顔やユーモアを忘れず、よほど立派な社会人ではないかとさえ思える人だった。まあこのあたりはマスメディアやネットメディアの限界だろう。
にもかかわらず、講演はやはり息の荒い質疑応答でかなり中断した。僕の知人がやりとりの結果、不愉快を顕にし、講演半ばに会場を去るという一面もあった。参加者の大半、そして鵜澤さん自身も(通常の講演ではありえない)その行為にも理解を示しているようにみえた。それだけの異常な講演であったということだろう。
小さい頃にいじめにあっていたとのことだが、自分自身を試したいという極限状態への渇望が、いかにして彼をシリア渡航へ駆動していったのか、我々の大半には理解不能だ。それは例えばスポーツであってもよかったはずだ、と僕は質問したが、彼にとってはそうでなかった。それは生命の応酬を要求する戦闘行為でなければならなかったのだ。彼の話から僕が唯一悟った、というか再認識したのは、「結局、他人とは理解できないものだ」ということだった。
仮に彼がもっと人を舐めた態度で接するような人間(実際そういう人は枚挙にいとまがない)であれば我々も彼を何の遠慮もなく憎むだろう。だがそうではない。彼は一見して無害だ。彼の表面的な人格と実際の行動は乖離している。そのことが、余計に我々を戸惑わせ、不安を駆り立てる。「我々はいつの間にか騙されるのではないか」と。これは単純なリテラシーの問題だ。納得できる不安要素がないことは却って強い不安を煽る。
できるなら、僕はこの抽象的な不安とは距離をおきたい。北大生のケースと違い、イスラム国と関連付けて議論される日本の若者の閉塞感や貧困に対するルサンチマンは彼の背景には存在しない。彼は一切の社会問題と無縁であり、ただ自分の内面の問題を清算するためにシリアへ行ったのだ。
彼は何らかの思想に基づいて同胞を戦場へ誘うことも、過激派の同志に共鳴することもしなかった(だって彼自身の問題なのだから)し、今後も決してしない、それどころか戦争には最早興味がないだろう。死の淵から生還し、感謝することを知った今の彼には戦争とはかけ離れたビジョンがあるという。それは単体ではそこらの社会起業を目指す若者の輝かしい夢と大して変わらないし、敬意をも払いたい。
しかし、好戦家が国民的指導者として歓迎されるようなイスラエルや米国ではともかく、日本で彼が過去を背負いながら全うなサポートを得るのは不可能とまでは言わないまでも茨の道だろう。僕自身、彼に対して中立的に接することは難しい。今のところはこんな感じだ。また考えを整理する日が来るかもしれない。
これ、なんだろうと思う脳現象
標本数は1。自分以外の人がどうか確かめたことがなく、もし記憶や認知とはそういうものだと言われたら知らなかった、と答えるしかない。
専門的にどういう言葉で説明すべきなのかも分からないのでうまく伝わらないかもしれない。
聴覚的な記憶に残っていない単語を復元する
例えば誰かと話しているときに隣の隣くらいの席で「...これをクラウドに上げて…」のような会話をしていたとする。
脳内では何かの単語がセンサーに引っかかったことがわかっているが、ほかの会話に集中しておりので隣の会話の内容は字句レベルでも全く思い出せない。
ただ脳内で何か変化が起こったことだけは把握しており、
「このあたりのニューロン(?)が反応したということは…「クラウド」の話だったようだ」
と、もやもやとした脳の状態から頑張ればキーワードの再構成をすることができる。
「クラウド」という単語は前後の単語も含めて全く記憶にないにもかかわらず。
しかし頑張らなければ、もやもやとした脳の状態は平常に戻っていき、単語レベルでの会話の内容が意識下に出る機会は失われる。
バックグラウンドに送った音楽が脈絡なく浮上する
iPodのプレイリストをずっと流して聞いていて中断して別の作業を始めたとする。
1時間かそこらして作業への集中力が切れてくると、ふとある曲が頭の中に流れ始める。よく考えてみると作業を始める前に最後に聞いていたまさにその曲だったり、その次の曲だったりする。
作業中も脳内で音楽が流れていたという自覚はないのに、あたかも脳内バックグラウンドプロセスが予定通りに(ただし、正確に1時間再生していたというわけではないが)プレイリストを再生しており、作業の完了とともに意識下に浮上してくるという感じ。
「行っていた作業のプロセスの立場からみれば全く唐突に曲が流れ出す」という点ではマインドポップに似ているかも。1時間ほど前に聞いていた曲だという点では、脳全体の立場では、全く脈絡がないわけではないともいえる。
「寝る前に最後に聞いたまさにその曲が、目覚めた瞬間に流れ出す」という、もう少し一般的かもしれない体験も昔は日常的にあった(今はあまりない)。
「新鮮で耳に残る曲だからふと思い出しただけではないか」というのなら不思議ではないのだが、この場合の浮上のしかたは、そういう感じではなく、寧ろ毎日同じプレイリストを聞いて耳がだいぶ慣れている曲であることが多い。
なお、記憶力が人よりいいというわけではないと思う。記憶の種類によっては人より悪いし昔に比べてもだいぶ悪くなった。集中力がないのか20秒程度で忘れてしまうことがある。一日100回くらい何か考えては忘れているような感覚があり、Evernoteのようなツールがないと結構ストレスフルだったが、最近はツールさえあれば忘れることに対して諦めがついてきた。
その他
以上のようなケースは個人的には興味があり研究が進んでほしいが、記憶の研究全般もやはり面白いと思う。
日経サイエンス今号の記憶特集で、Highly Superior Autobiographical Memoryという超記憶の例などが紹介されている。「ある時点から今日までの毎日、ニュースや自分の周りで何が起こったかを全て正確に記憶する」また「あるニュースやできごとに対し、それらが起こった日付を正確に記憶する」ということに特化した記憶能力だ。超便利そうだけど、逆に負荷になっている人もいるのだという。確かに、絶対音感みたいに持つ人だけが味わう苦しみもあるのかも。
2013年振り返り
明けましておめでとうございます。明けちゃいましたが去年の話をば。
仕事
- 社内のある業務システムの担当になり、より責任が伴うようになった。
- 時には世界各地の拠点と英語で連絡しながら業務をグローバル化・共通化・自動化していくというなかなか面白い経験を積めた。
- TDDやCI、自動デプロイ、パフォーマンスチューニングなど技術的には進めたいことはあったが業務要件を優先した結果後回しになった。
- よいエンジニアでありたいという気持ちは変わらないが、チームとしてうまく情報共有・作業分担して成果を出していくことも引き続き課題だ。
運動
写真
- 眠らせていたD60をよく使うようになった。新しいレンズも買った。
- 三脚も買ったがあまり使えていない。
読書
- 50冊ほど。漫画も入れるともう少し読んだ。
- 本を置く場所がなくなってきて、今更ながらkindleをよく使うようになった。
- 生物系の人と出会うことが多く、その方面の基礎勉強としての読み物が増えた。
- 技術書とビジネスはあまり読まなかった。
ばらばらとなってしまいましたが、皆様ありがとうございました。
2014年もよろしくお願いします。